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媒体としての私

今年初め(1/2)の日記に書いた私のユダヤの前世のハードな物語を
今、珠ちゃんに小説にしてもらっている。
勿論私がお願いしたんだけど、珠ちゃんが書いたその本が
書店に平積みになっているヴィジョンが私の中に大分前からはっきりあるのだ。
その小説の取材のために珠ちゃんと話をした。
珠ちゃんの質問を受けながら、且つ珠ちゃんの視点を聞きながら
自分の過去を振り返るというのはかなりの自己探求になって面白い。
(珠ちゃんも私も自己探求が趣味みたいなところがある)
NHKで3時間生放送をしていた超過激な時代の自分の番組のテープを
珠ちゃんに渡すため あらためて聞いてみたら今聞いても呆れる程で 
よくこんな尖った放送をやって問題にならなかったものだ。
(一応ギリギリの線を考えてやっていた。
というよりここまでなら問題にならない。と計算して確信してやってたんだけど)

珠ちゃんと話していてわかったことがある。

私は子供の頃からいつも自分を静かに客観的に見つめる視線を感じていた。
今になって思えば 常にそこには大きな意識と肉体意識の二つがあった。
でもその大きな意識が自分であることが当時はわからなかったし
その意識と三次元の自分が繫がっていなかったために
私はいつも三次元の自分を否定しては苦しみ、感情が希薄だと恥じ
どこかにあると思われた「本当の自分」を求め続けていた。
(大きなフィールドを占める意識と自分の肉体がかけはなれていたために
どちらにもリアリティがなかった。)

私はいつも空間みたいな存在だったのだけど
その空間の中から「人間という自分」「かたちの自分」を発見しよう
(誕生しよう)と必死だった。
今になって初めてわかったのだが 私は人間になりたかったんだ。
「人間らしい」といわれるものに。。。。。
感情豊かで個性がくっきりした人間くさいものに。。。。。
なぜなら私は人間的な感情が希薄で 死も、肉体を失う事も怖くなかったから。
(私は人間としてのかたちが欲しかったがために かたちに拘り左右されていた)

「自分は個性がなくて自分独自の意見がなくて からっぽだ」と
思って子供の頃からずっと虚しかったのだけど
「からっぽじゃなくて空(くう)なんじゃないの」と珠ちゃんから言われて
その日と翌朝ずーっと自己探究しているうちに
実は 私は幅広い周波数帯を持った空間みたいなもので
(私はあらゆる周波数・どんな人の考えにも共鳴出来て 
全く苦痛なく、我慢することなくそれを私のフィールドに受け入れることが出来た)
その空間そのものが実はまるごと自分であり
からっぽなんじゃなくて あらゆるものが満ち満ちたフィールドであったことに
やっと今になって気付いた。
こんなにも満たされていたのに 私が渇望していただなんて!

私の個性・役割は「媒体そのもの」だったんだ。
(子供のころから私の感情が希薄だと感じていたのは
感情が乏しかったのではなく 魂の感情に共鳴していたから
「激しい情」の影響を受けずに あらゆる人を受け入れて共鳴出来たのだと
大津さんから言われた)
媒体である私は からっぽのパイプではなく
私というフィールドを通ることによって 届きやすい何かに変わる
ある意味変換機能を持った空間だったようだ。
そしてその役割をするために肉体が必要だったんだ。

ただ意識の自分と三次元の自分が切り離されていたために
私はいつも本当の自分を渇望し、求めるあまり求道者のようになっていた。
幼い頃も、そして過激だった大学時代やその後も
共通して私が求め続けていたのは「完全に一つであること」だった。
幼い頃は そうなれない自分を責めて卑下し自虐的だった。
小学1年で孤独を感じて とっても淋しかった。
(私の感覚って他の人と違ってたって今になってわかった。)
ROCKに出会ってからは「完全に一つになれないのは社会・システムが悪い」と
責める矛先を世の中に向けてとんがりまくっていた。
その攻撃的だった時代は 怒っている自分がなんだか人間的な気がして嬉しかった。
でもよくよく考えると やっぱり「怒ってるような発言をしている自分」を
客観的にみていた自分がいた。
そういう意味では本当に感情的に怒ってはいなかったのだ。
(ただ過激と思われる行動を冷静にとっていただけだったんだ、実は)

よーく考えると 私は感情に翻弄されたことが一度もない。
人間らしい気がして「好きだ!」だの「嫌いだ!」だの、「熱狂的」と言葉で言ってたわりに
実はもの凄く好きなものもなかった気がするし、本当に嫌いなものは実は無かった。

本当は満ち溢れていたのに からっぽと思っていて
媒体である自分は 自分じゃないような気がしていた私。
本当の自分は最初からそこにあったのに認めていなかった私。
常に満たされない渇望感が私を駆り立て 神理に向かわせていた。
だから 今ここで満ち足りたエネルギーを持っている
菜穂ちゃんやhirokoさんのエネルギーに触れると
わけもわからず勝手に涙が溢れ号泣していたんだ。。。。。
やっと最近の号泣しまくりの意味がわかった。

珠ちゃんから「徳ちゃんにとって愛ってなあに?」と訊かれた。
「存在そのもの」としか答えようが無い。
別の言葉でいうと、偏在し振動し浸透する意識。神。光。。。。。
そこには「情」という感覚がまるでない。
そして「私って何?」って自分に問うと、
やっぱりその答えも前述の愛と変わらない。
個性は? と訊かれたら。。。。今は胸を張って「媒体」と答えよう。

珠ちゃん、ありがとうね。
by chandra-k | 2006-08-05 00:45 | 私について
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