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いのちは死なない

「この人生でものすごく学んだのに 死んだらこの知識は肉体と共に無くなってしまう。
ああ、勿体無い。この知識を記憶したまま次に生まれて来たい。」
と言っていた人がいたが、次の人生で周波数を上げれば その記憶を引き出して使えるでしょ! と、私は思う。

私達は生まれる前に 今回はどんな学びをするかテーマを決め、記憶に蓋をして生まれ
学びをスタートするけど、今までの前世での学びはすべて魂が記憶しているから
そこに繋がるところまで周波数を上げれば その記憶は使えるわけだ。
さらにもっともっと大元・根源では私達は一つだから 
人類集合意識や、惑星意識、宇宙意識と周波数を上げれば上げるほど 
その集合意識に蓄積された多くの人々の学びの記憶 知識とアクセス出来るので
誰の記憶だろうと知識だろうと引き出して使える。
そのレベルだと個人・自我意識はないから(自分と他者の区別がないから)
誰か他の人の知識というより 「あなたでもある私の知識」ということになるけどね。
高次元の意識は 愛そのもの・光そのものであり あらゆる叡智を使えるから
智慧そのものでもある。
だから愛も光も神も智慧も宇宙も同意義語になってしまう。

すべては学びだから 今回の人生で何をやってもいいし、失敗したっていい。
極端な話、生きることを放棄して自殺したってかまわない。
(大きな目で見たらそれも学びだから) 
肉体はなくなってもいのちは続いていくし、いのちは死なないからやり直せる。
でもさ、テーマを決めて肉体を纏って生まれてきた以上 
思いっきり生きてみたほうがいいよね。
クリア不可能なことは現象化しないんだから 目の前に現われたことは
必ずクリア出来るってこと。 安心して対峙してみればいい。
そこから逃げることも出来るけど クリアするまで形を変えて現象化してくる。
たとえ死を選んで逃げたつもりになっても 今度は肉体の無い幽界でおばけになって
気付くまで何百年も過ごして やっと周波数をあげて その後また同じ課題をやるために
生まれなおすんだったら 今その課題をやっちゃったほうがいいよね。
(これはカルマというよりは 自分で学び足りない所をまた学ぶためにプログラムするってこと)

「たった一度の人生だから尊い」というのは いのちが亡くなるからではなく
今回のプログラム、キャスティング、テーマは今回だけだから
この芝居を思いっきり味わって学び尽くして 次に行こうってことだと思う。
何度も何度も人生やりながら 魂そのものが成長して源に帰ってゆく。
私達の学びの煌きを忘れたりはしない。

今出会っているみんなとも、来世であっても暫くは忘れてるだろうけど
お互い学びが進めば ちゃんと思い出せるからね。
そして「あの人生では共に学んだねー」と懐かしがるんだね。
by chandra-k | 2006-05-03 00:26 | 波動の法則
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