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明想

近頃私の一日は瞑想で始まり瞑想で終わる。

以前は 朝起きて1時間位ぼーっとしながら新聞を見たりTVを見たりするのが日課だったが、この頃は起きるとすぐチャクラクリアリングと光の瞑想をして すっきりしたところで行動を開始。

夜はお風呂の中で毎晩瞑想。これは3年以上続けている。
湯船につかって座ってすることもあるが 私がやりやすいのは 湯船のなかに立ち上がって目を閉じるもの。
それを言ったら皆から「えーっ! 裸で立ってぇ~!?」との反応だったけど 私はそれがやりやすいんだもん。

以前はそうやってチャクラ融合の瞑想をしていた。
(「ライトボディーの目覚め」にあるように ハートのチャクラを中心に 少しづつフィールドを拡大・融合させて やがて光の球になるイメージ)
でも 今になって考えるとその時は単にチャクラのフィールドを融合させていて その光がどこに由来しているかなんて考えもしなかったので ただ光の球に包まれていただけだったような気がする。

心の奥の奥の本質からの光(根源の愛の太陽からの光)を感じるようになってからは
その燦然と輝く光が内側から溢れ 心のフィールドを満たし、
やがて三次元の肉体細胞を内側から振動させ、光が満ち、溢れ、放射し、
溢れ続ける精妙な金色の光が 私自身のフィールドである光の球となり
輝きを放ち続ける。。。。。。そんな明想をしている。

瞑想をいうと雑念を払って無我になる・・・というイメージがあるが、雑念は払おうとすればするほど湧き起こってきて エゴを考え巡らすだけの迷想となる。
無我というのは無理やりエゴを無くすというより 個人意識を無限に委ねて一体化してしまうこと。だから何も考えないというよりは 無限に溶けた、一体化した意識を意識する・イメージする方がやりやすい。
宇宙大の意識、無限大の意識、根源なる意識、光そのものの自分を想う。
それは天国意識、喜びの意識を感じることでもあり まさに明想。
穏やかで安らかで澄み切った心の状態。

そして明想は いつでも出来る。なにも安座になって目を閉じなくてもいい。
私は街を一人で歩いている時、明想しやすい。
自分の前に続く道を 遥か向こうまで見やりながら、さらにその先に思いを馳せ 意識がどんどんどんどん先に伸びて やがて地球を通り越し果てしなく拡がっていくイメージをしたりする。
同様に自分の後ろへ・・・とか、空へ・・・・とか、地球の中へ・・・などと。

意識には制約は無い。なーんでも出来る!
そして明想はいつでもどこでも出来て、気持ちいい!
by chandra-k | 2006-04-19 23:15 | 波動体験
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