想いを伝えるということ①

私が蓋をして、気づかぬふりをしてきた感情について色々考えていて思ったのは、
全く気づいていなかったのではなく、わかっていながらちゃんと味わってこなかった感情であったということだった。

それは実はかつて知っていたけれど、別の解釈や意味づけをして、
その学びに感謝して、自分では終わったと思っていたことだった。

でも、頭でそれをわかっていても、放出されていない感情が
行く先もなく、見えないところに燻り続け、結局はこうなってしまったともいえる。

それがわかった以上、自分だけで「終わらせた気」になっていても
決してそれは終わらない。


例えば、女性性に関して。

子供の頃私は女性性を拒絶していて、
「女である前に人間でありたい」と言っていた。
やがて成長と学びによってそれが自己否定であったと気づいた時に、
自分と女性性を受け入れることが出来るようになった。

やっと女性性を受け入れられるようになったにも関わらず、
今度はそれを味うことが許されないような事態が次々起きて、
やがて私は、魂の成長においてはエネルギーさえ交流すればいいじゃないか的な解釈で
(性別を越えた魂レベルでの交流こそが素晴らしいなどど)自分を無理矢理納得させてしまっていた。

つまり本当は味わいたかったのに、それが出来ないから
その執着はなかったことにして、生理も女性性も面倒だと済ませていた。

本当は淋しくて、悲しかったはずなのに。



20代30代の頃、会社をいくつも作ったり、あまりに色々なことをして
言い始めたたきりがないほど、様々なトラブルや大変なことが山ほどあり、
相当精神的に辛かったにも関わらず、それを友人にも、家族にも誰にも言えず、
とにかくひたすら一人で頑張るしかないと乗り越えてきた。

夫もトラブルの渦中で本当に大変だったし、
私が自分の感情だけをぶつけてしまったら、もっと大変なことになるからと
自分の感情を抑えることを正当化し、無いことにした。
夫に笑顔でいて欲しいから、「私は大丈夫!」と自分に言い聞かせて頑張ってきた。
誰にも辛い顔を見せず、笑顔で仕事をし続けた。
私個人の仕事が順調なのが私の救いであり、私の精神を支えていた。


今は真理を学んで成長したので、何でも言える友人、仲間が沢山いるし、
自分のことを言うのも平気だし、
こう思われたら嫌だとか、恥ずかしいとは全く思わないし
それらすべてを感謝の光に変えることが出来るようになったけど、
当時は本当に誰にも何一つ言えなかった。



すべてが私の成長のための協力者であり、どれもがかけがえのない経験であり、
だからこそ今の私があると心から思っている。
真理を学んで本当によかった!心の状態が全く違うもの。


けれど、当時の苦しさや淋しさや、悲しさの感情が行き場を失ったまま
私の中に残っていたということだ。
長い間澱のように重なって、今、それをどうにかしてほしいと私の体が訴えている。


それがわかった以上、それをそのままにしておくことは出来ない。


私が自分の講座で伝えているように、実践するしかない。
それは、どう自分が生きるかということなのだから。


私はかつての自分の想いを夫に伝えようと決断した。
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by chandra-k | 2013-08-07 18:53 | 病床波動日記 | Comments(0)
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