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如来と菩薩

日記に書こうと思っていたことが色々あって、
でも書かないでいるうちに時間がたってしまったけど
ちょっと振り返りつつ記録しておきたいことは書いていこう。

その中でもこれだけは記録しないと。

先月末東京で研修があった。
初日は池上会館で、そして二日目は仙台チーム限定の東京事務所での研修。
もう細かいこと書いたらきりがないので省くけど
とーっても濃い2日間。
仙台・若柳・秋田から行った私達に、大阪・姫路からやってきたラブラブ夫婦!
そして東京チームと大人数で賑やかで嬉しい研修だった。

その中で私にとってこれからもきっと決して忘れないであろう体験をした。
それは2日目のエナジーワークでのこと。

今回のエナジーワークは如来と菩薩の誘導があった。
ここまで明確な如来のエネルギーの誘導は初めてだったと思う。

如来の誘導と同時に紫のエネルギーに包まれる。
明らかな調和と秩序、摂理のエネルギー。

そして私はとてつもなく大きい宇宙如来を感じた。
それは宇宙そのものであり、すべてをその中に内包する大いなる意識。
それはあまりにも精妙で軽やかで「空」という感じ。
それはまるでものすごく大きな大仏のようでもあり(形として例えれば)
その身体の中に世界があって、その内側で現象が起きていて、
如来そのものが秩序だった。

よく大仏の手の上で転がっているようなものと例えるが、
こういうことだったのか・・・・。

そして菩薩の誘導とともに、如来のエネルギーが、粒子が集まって来て
菩薩となった!

そこではっきりと私はわかってしまった!

「如来が法を創り、菩薩がそれに従う」と聞いた時、今まで私は
如来の元で菩薩がしもべのように従っているイメージをしていた。
そしてそれが秩序であると思っていた。

でもそうではなかった。
如来と菩薩は分離してはいなかった!
如来という意識は何でも創り出せるけれど、それはあまりに大きい意識であり、
それをこの世界に現象化させるために
自らの意識・エネルギー・命・身体を使って菩薩のかたちを創り
それを自らの意思・身体として顕していたのだった。
如来みずからが法であり、それを顕して現象化させるのが菩薩だった。

この世界が全て同じ宇宙の顕れであり、一部が全てを含んでいるように
入れ子状態であるように
菩薩は如来の一部であり、ある側面だった。

そして自分が思ったように(観自在)、制限制約もなく(無碍自在)
自由に喜びながら、愛を顕し命を与えて生きるのが菩薩だったのだ。
この世界でかたちを通して顕すことが出来るのが菩薩だった。

働いている時の現象をみれば個体であり、分離しているように感じても
実は分離しているどころか、そのものでありひとつであった。
そうでありながら、自由自在に働くことが出来る。

そういうことだったのか!
時々ぶつくさ言いそうになったり、反発しそうになるけど
それもまた学びの段階。
そんな私も最初からそのものであり、一部であった。

ふーっ。

そういえば最近ハートの中心がでっかくて
部屋をはみ出している。

そこまで理解出来るまで学びが進んだと言われてとても嬉しかったけど
ちゃんと役割果たさないとね。
by chandra-k | 2010-10-10 00:29
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