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愛してます。

前々から色んなものにありがとうと声(想い)をかけていたけど
何かが足りない気がしていた。
自分の身体や、まわりにある物、色々な事象に
ありがとうと言っているのだけど、私って感謝の想いが足りないのじゃないだろうかって。
「ありがとう」の言葉の中に自分が込めたい想いがちゃんと入らないはがゆさ。
「ありがとう」って天国周波数のはずなのに・・・・って思ってた。
「私の身体さんありがとう」って言っても なんだか感謝の想いが足りない。

やすりんさんが前に言ってた「愛の身体さん」という言い方も
私の場合はリアリティが足りない。

ここ数日そのはがゆさについて考えていた時に、あ!って思ったこと。
私の場合「ありがとう。愛してます。」と言うと想いがちゃんと入るって。
これは多分私の言語感覚なのだけど、
「ありがとう」はしょっちゅう言ってるせいか、気軽な感覚があって
深い感謝の想いを込めようとすると その言葉の中に想いが入りきらないというか・・・。
でも「愛しています。」と言う時
そこには深い感謝の想いが入って その上で積極的な意味で愛を込めて伝える感覚。

今「愛しています」って言う時、そこに入る波動は昔持っていた愛情の周波数ではなく
もっと深くて広い 存在そのものの愛の周波数。
それはもしかすると今まであまり使ってこなかった言葉だから
自分にとっては特別な深い想いを込めやすいのかもしれない。

早速「私の完全な身体さんありがとう。愛しています。」
「私の完全な心さんありがとう。愛しています。」
「私の完全な魂さんありがとう。愛しています。」
「完全な宇宙真我さんありがとう。愛しています。」

これだと頭を垂れて感謝の想いが入る。
それと同時に 自分が愛されていることを感じる。
それを確認して また言ってみる。
「私の完全な身体さんありがとう。愛しています。そして私も愛されています。」
これで深い感謝と喜びが感じられるようになった。

あくまでこれは私の言語感覚で、人によってそれは違うので
自分に一番しっくりくるのを選べばいいだけの話なのだけど。
私の場合は「愛しています。ありがとう。」の順番じゃないほうがいい。

そんなことを思っていて臨んだ今日のエナジーワーク。
様々な波動を感じながら、ずっと「愛しています。」を繰り返していた。

すべてが愛であること、存在そのものが愛そのものであることは
もう疑いようがなくわかるようになった私。
愛が存在そのものの名詞であるとすれば
「愛している」というのは動詞。
すべての意識が存在しながら振動している状態こそ「愛している」状態。

地球を渡る風が「愛してます。愛してます。」と振動しながら吹き、
その風に木々が揺れながら「愛してます。愛してます。」と応える。
花が美しく「愛してます。愛してます。」と咲き、
ミツバチが「愛してます。愛してます。」と訪れる。

誰かが語った言葉がたとえどんな善悪を含んだマイナスの言葉でも
実は「愛してます。愛してます。」と振動していて、
私の耳にも「愛してます。愛してます。」と響く。
すべてが「愛してます。」と振動しているから。

それを感じていた。
そして周波数がどんどん上がって黄金のクリシュナ意識の時は
その「愛してます」があまりに精妙なので
まるで振動していないかのようなぐらい静謐で 愛があまりにも濃く満ち満ちていた。
この愛が振動を落としながら 三次元で様々な「愛してる」を顕しながら
喜んで色々なかたちを楽しんでいるのがわかった。

珠ちゃんは「ありがとう」が振動してる感じと言っていたけど
確かに、それぞれが「ありがとう」だったり「うれしい」だったり
「しあわせ」って振動している感じはわかる。
これに関してはどの言葉でも感じられる。

見るもの聞くもの語るものがみんな
「愛してます」「ありがとう」「しあわせ」「うれしい」って
振動して飛び跳ねてる。
それはそれは楽しくて愉快な世界!!!


ところで一昨日は弘子さんのマスター伝授に立ち会わせていただいた。
様々な色を入れる時、今まで伝授に立ち会った時は
その色がはっきり分かれる感じがしたのに対して
弘子さんの場合はどれもに色んな色あいが混じって感じた。
それを言葉にすると「幸せ色」みたいな。
それからいつもより何度も秩序の紫を感じた。
ハートに愛を掲げて騎手となり進んでゆくマスター誕生!
ここまでの歩みを感じ そしてこれからを思って感動が溢れる。
おめでとう!!!

前日は佐知子さんがマスターとなり 来週はのりちゃんのマスター伝授。
若柳のこれからが楽しみだね。
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by chandra-k | 2009-08-27 23:28 | Comments(4)

新たな世界のために

随分前から自分では気づいていたことだったけれど
私には大きな拒絶があった。

それは妄信や狂信する図。
たとえ実質的にそれが妄信でなくても そのように外から見えそうな図。

宇宙の摂理や、この世界に遍満するおおいなる意識に畏敬の念を抱くことは
自分にとって自然なことであるし、
宗教的な祈りが満たす空気や そこに関わる空間、建物、音楽、意識は大好きだった。
でもその一方でかたちあるものを崇め 集団が同じ方向を向いている姿は
どうも生理的に気持ちが悪かった。

他の人がやってるのは 私が距離を置いていればいいだけの話なので
別にいいのだけれど 自分がやるのは耐え難いものだった。
たとえ妄信でも狂信でもなく、自立した自由意志であることを重々承知していたとしても・・・。
その対象は宗教的なものに限らず、政治的なものも、
例えば何かの商品に心底入れ込んでいる姿も含め抵抗があった。
(音楽やロックのライヴの熱狂は平気なのだけど)
だから私は常に何事にも客観的でいたかった。

自分が信じて認めているものは、
他の誰がどうであろうと「自分が信じていること」が一番重要で、
その素晴らしいものをじっくりと客観的(!)に伝えることを役割とし、
それを選択するかどうかは常に相手の能動的な自由意志に任せて 私は時期を待ち
結果的に伝わればとても嬉しいものだった。
でもそれを私が高らかに表明し、その旗手となることは嫌だった。

それを例えると、宇宙の摂理に基づいて生き、それは受け入れている反面、
太陽系にいて太陽の周りをまわっていながら それは言わずに
どこの銀河にいるのかも曖昧にしておいて 共鳴して側に来た人に
「実は私は太陽系にいて太陽のまわりを回ってて、太陽って素晴らしいんだよ」って
耳打ちしているみたいな。

自分が中心になってちやほやされるのも嫌だった。
司会にしてもあくまで主役がいて、それを側で仕切る役割がよかったし
番組にしても 主役は音楽とアーティストであり、それを引き立てる役割が好き。
決して中心にはなりたくない。でも完全に陰で見えないのも嫌という微妙な感覚。

この感覚がどこから来ているのかとずっと考えていた。
きっと根深い過去があるのに違いないのは気づいていた。
だってものすごく生理的な拒絶だから。

一方でもうそんなことを言ってる段階ではないこともわかっていた。
私が過去生から持ち越して来た枠・こだわりなど 宇宙の前ではとるに足らないこと。
しかも私が生まれて来た理由も自分で明らかに知っている。
すべての人が互いを慈しみ 共に喜びをわかちあい 輝いて生きることの出来る世界。
国も人種も信仰も政治も超えて 
すべての生命が地球家族として生きることの出来る世界。
そして大きな理念のもとでは 私は大いなる全体の一部として働くことがあたりまえ。
宇宙全体生命の秩序の中で調和して働くことが当然。

魂の奥に刻み込んだ過去のこだわりに縛られていた私を見つめていた。
過去のデータに囚われて そこを基本として未来を見ようとしていた癖も。
でもそんなことは実は関係ないことも知っている。
だって これからは新たな世界 新たな秩序 新たなわたしを創っていくのだから。
真に自立し 自由でありながら 全体として有機的に働く 調和した秩序。
そんな新たな世界のためにー。


ところで私がひっかかっていた過去生はー。
自分がリーダーであった時に 迫害されて2600人の仲間と共に殺害されたらしい。
当時も心から素晴らしい世界を創りたかったのだろうなぁ。
それを想っただけで涙が溢れてくるから。
どうりで私は人を巻き込むのが嫌だったわけだ。
いつも全責任を一人で取り切りたくて単独で活動することを選択してきたのもよくわかるし
子供の頃から人に迷惑をかけるのがものすごく嫌だった。
でもこれも 過去の話。もうおしまい。
新しい時代が幕を開けるのだから。
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by chandra-k | 2009-08-21 20:16 | Comments(6)

Mieちゃんの菩薩セミナー

今月の菩薩セミナーの担当はMieちゃんだった。
毎年夏はカナダの家に帰っていたMieちゃんが今年は日本!
おりしも仙台は七夕祭り。しかも満月。
なんかとってもおめでたい祝祭って感じだねぇ。

Mieちゃんの今回のお話のテーマは二つ。
一つは「行動すること」
Mieちゃんも私もまず到達目的地・ヴィジョンを決めて 
そこまでのルートと具体的方法を選択してゆく生き方をずっとして来たので
意思決定から具体化のラインが自分の中で決まるのでがとても早い。
決断・選択・行動のシステムがある意味自動的に働く。
(私は大切なことは迷わない。即決する。)
お話を聞きながら そこのところは本当に同じだなぁ~とあらためて思う。

面白かったのは日本とカナダ人との国民性の違いの話。
日本人はクラシックの名曲を完璧に弾けるレベルで「私はピアノを弾ける」というのに
カナダ人は「ネコ踏んじゃった」のレベルで「私は弾ける」という。とか、

車の免許を取るのも、小学生でもわかりそうなものすごーく簡単な筆記があって、
あとはいきなり運転免許を持ってる人が隣に乗って公道を走って練習し
ある程度運転出来るようになったら試験官に乗ってもらってOKが出て終了。とか、

乗馬も日本なら初日は「馬に乗る、降りるやり方」で終わっちゃう感じなのに
カナダは「こう手綱を引くと曲がる、止まる」と口頭で説明されて
いきなり乗せられ、川を渡ったりさせられ、
「出来るね。では走りましょう!」となる。とか、

カナダ人はとにかくまず体で覚えることを優先するという。
その国民性の違いに驚くのと同時に笑っちゃった。
日本人はとかく自信がないと言って行動しないけど 
自信は行動しながらついてゆくもの。
そういうお話だった。
本当にそうだよね。
私は行動するタイプだけど、それでもかなり最近まで自信はなかったもん。
行動するわりには自信がないという。
ただ自分の可能性と目指すヴィジョンは常に信じていたけど。
成長することでやっと自分を認めることが出来るようになった。
そして自信がないことと謙虚であることは違うということもはっきりわかった。

結局自分の素晴らしさを認められるということは
すべての人の素晴らしさを認められるということであり
真我の素晴らしさを認められるということだから。

それからMieちゃんのお話のもう一つのテーマは「信じるということ」
宇宙=神=クリシュナを信じ、悟りし者=大指導者を信じ、
法=真理を信じ、僧=真理の指導者=聖徒を信じ、自分を信じる
という宇宙真理・五宝を信じるという話。
本当の意味で「自分を信じる」とはすべてを信じている状態。
信じ、仕え、従い、顕わしている状態ということ。

これに関しては最近私色々考えていたテーマでもある。
自分の中におそらく過去生とも関連した大きなテーマと
ひっかかっているブロックがあるのでそこを今自己探求中。
頭でわかっていても 完全に体験としてわかっていないのでちょっとすっきりしない。
これがクリア出来たらしっかり言葉で話せるようになると思う。

そして最後に東京でやってることをお話してくれて
東京でやったように大津さんに一人一人がご挨拶をした。
先日の特別エナジーの時、東京にならって大津さんと久美ちゃんにご挨拶したけど
その時はみんなで一斉に声に出したのだけど、
東京では一人一人がちゃんと大津さんと目を合わせながら
各自順番にご挨拶したそうだ。
「いつも指導して下さってありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。」
それにならってやってみた。

その言葉を口に出しながら目を合わせると胸が一杯になった。
これまでの沢山の想い、時間、感謝、あらゆるものが一体となる。
普段から思ってはいても口にしていないことを
あらためてこうして言葉にすることで その想いが溢れてきて涙も溢れる。
その瞬間にすべてに対する感謝の気持ちで素直に謙虚になる。
それは理屈ではない。
なんと言ったらいいのだろう。
大津さんに向って言っているのだけど、大津さんに言ってるのと同時に
対象がないすべてが感謝そのものであるということを確認出来
頭を垂れるとっても大きな感覚。
存在そのもの、感謝そのもののじーんとする喜びに打ち震えると言ったらいいのか・・・。
いままで味わっていなかった感覚だった。

Mieちゃん素晴らしいセミナーをありがとう。

セミナーの後 大津さんの新しいヨガ・ブラスターヨガのまた新たなポーズが出て来て
みんなでやる。
動きはシンプルなのに その効果が絶大で驚き。
以前伝授の後とか、サポートが入った時に細胞が振動して内側から熱くなった感じに
かなり似ていた。
それは体は勿論なのだけど自分のフィールドそのものが振動しているのがわかる。
とにかく体がものすごく熱くなった。

そしてその後Mieちゃんと二人でデート。
準備が整って話すタイミングが来たって感じだった。
今後のヴィジョンについて等を話す。
また話そうね。ありがとう。

そして翌日はみっちゃんの家でヨガ。
本当に久々のヨガは体が伸びて気持ちよかった~。
今月のポーズは飛天の礼拝だったのだけど
私はめったにヨガを受けられないにもかかわらず このポーズは3回目。
これも何かの縁かも。
私は黄金の慈しみの粒子を撒いた。
みっちゃんの柔らかな波動に包まれて幸せなひとときだった。
ありがとう。

そして今日は一緒にヨガを受けたもえこちゃんの伝授。
最年少で中学生のもえちゃんがこれからどんな風に輝いてゆくのかとっても楽しみ。
私は仕事で立ち会えないので 想っているね。
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by chandra-k | 2009-08-08 01:07 | Comments(4)