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脳を自分仕様にカスタマイズ(脳を使いこなす)

最近脳がよくむにゅむにゅと動いている。
それを言ったらオステオパシーの高橋先生が「先週と頭蓋骨の形が全然違う!」
と笑っていた。
脳の中が変化すると骨の組み合わせである頭蓋骨も変化するんだねぇ。

そしてここのところ毎日ものすごくリアルな夢を見ている。
しかも目覚めて「ああ、夢でよかったぁ~」という類のものばかり。
明らかにこれは今私の脳がもういらない「不安・恐怖」のデータをスキャンして
捨ててる作業をしている状態。
PCで言えばゴミ箱を一旦開いて確認して捨てる作業をしてるって感じ。

私は今までずっと時間に追われる仕事をしてきたので
「仕事に遅れそうになりものすごく焦って、しかも間に合わない」類の夢と、
「喋ることが出来なくなる」類の夢が多い。
まあこんな夢を連日見ているけど これは自分でデータを捨てることを決めたからだと
理由がはっきりしているので「なるほどこんな恐怖を抱えていたのか」と笑っている。
まあ私のようにチェックする必要はないのだけど、私は確認しながら仕組みを知りたい
という欲求があるからこうなっているのだろう。

私達の脳って肉体を持って三次元で機能するためには ものすごく有効なシステムだ。
全知全能である真我が体験のためにこうして分かれて人間として生まれて来たわけで、
最初は何にでもなりうるあらゆる選択肢があった。
そこから私達は自分が経験したい自分に合わせて自分の肉体のシステムを構築した。

例えば赤ちゃんの時はあらゆる音を聞き分ける能力があるけど、
やがて環境に合わせて必要なものだけを選択するようになる。
本来は英語も中国語も日本語もフランス語も、あらゆる言語に対応可能。
でも日本語の環境で育つことがわかると 中国語の「あ」の幾つかの意味の違いは必要ないのでその違いを聞き分けるのを止め、似た音は全部日本語の「あ」と認識する。
他の言語の微妙な子音の音声も聞き分ける必要がないので その音の認識を止める。
こんな風にして日本語の環境に合わせてその周波数を認識する日本語脳を作る。
そして選択しなかった能力は奥にしまっておいて 別のことを学ぶのに集中する。

人間の耳は人の声を選んで集中して聞くことが出来るけど 指向性のないマイクは
あらゆる音を拾い集めてしまうので、人間の言葉もノイズも同様のレベルで録音してしまう。
そんな風に全く選択しないまま全方向のデータを集めていると、人間にとっては情報過多で処理が遅れ三次元では機能しにくい。
つまり「どんな目的か」に合わせて自分の肉体を特化してゆく能力が私達には最初から備わっている。
携帯で言うと「らくらくホン」みたいなものかな。
あまりにあらゆる機能がくっついてると 使いこなせない人にはかえって他の機能があることで使いにくいのと一緒。

どんな自分になりたいか、どんな状況でどんな風に機能したいかは自分で選べて
それに応じた自分を創っていけるわけで そのために脳はとっても便利なシステムってこと。
そして社会で機能しやすいように物や事柄をカテゴライズしたり
時間や空間、言葉、数字の概念を把握したり 
こんな状況の時はどう対応するとスムーズか等というデータを蓄積して
より合理的・機能的に生きやすいように自分で選択したオリジナルのシステムを組み上げていくのが脳の役割の一つだ。

そして肉体を維持するため危険回避のシステムというのもとっても大きな役割なので 似たような状況が起きる可能性がある場合「昔こんなことがありましたけど大丈夫?」と勝手にマイナスのデータが立ち上がる。
それは「危険回避」が目的だから 嬉しいデータよりマイナスデータが多くなってしまう。
そのシステムを理解していないと私達は「えも言われぬ不安」に襲われたりして心配をしてしまう。
「こうなったらどうしよう」とマイナスデータを並べ立てて新たな出来事に足をすくませる。
そしてそれによって翻弄され ますます不安になり、さらには不安のエネルギーを自ら放って、今度はマイナスを引き寄せ、創り出し、現象化させてしまう。
なんとゆう!

これってちゃんと設定しないといつも勝手に立ち上がってくるリアルプレーヤーみたい。(笑)
関係ある条件が少しでもあると「私のデータ使いますぅ?」と立ち上がる。
その仕組みが分かっていれば「いや、今はいらない!」と却下出来たのに。
今まで私達って何やってたんだろ。
要するに脳を使いこなす術を知らなかっただけなのだ。

そう。不安や心配は危険回避のために「これ必要ですか?」と立ち上がった単なるデータ。
それに振り回される必要はない!!!
ましてや原因と結果の法則を知り、もうマイナス原因は必要ないとはっきりわかった以上
そのデータすら全部捨ててしまえば立ち上がりようがない。

というわけで脳の中の必要なデータと必要でないデータが明らかになり
その識別が出来たため、私の脳はますます合理的になり
真我対応機能のみを残し もうすでに十分学んだ自我対応データは捨てているという訳。
まあ正確に言えば 完全に捨てるというよりサポートの時に使える記録として
普段は使わない深い所にファイルしてしまってある状態と言ったらいいかな。
(その波動はクリーニングして、愛の高い波動に転換して、意味付けを変化させ記録だけ残した状態と言ってもいい)

仕組みを理解していない状態で単純に「過去のデータを捨てろ」と言われても
漠然としすぎて何をどうしたらいいかわからないけど このシステムがわかると
必要のないものをちゃんとチェックして識別出来る。(私の場合は)

さて話は戻り、本来はあらゆることを選択し構築出来るのだから
創り変えも可能ということでもある。
だから昔捨ててしまったものを改めて使うという選択も出来る。

ということで、私はマイナス要因となるデータをばっさり捨てて
新たな楽しみに対応する私を作っている状態だ。
嬉しいデータやソフトを次々インストールしてね!
最近脳がかなりすっきりしてきた。
PCで言えば作業場となるメモリも増えるしね。

もはや脳とハートは分離していない。
脳をハートに従わせるって感じでもない。
真我である私が脳も肉体も含めた調和のとれた総合的な素晴らしいシステムとして
大きなフィールドの中で機能している感覚になってきた。
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by chandra-k | 2009-05-29 19:40 | Comments(9)

フラワー・オブ・ライフ(東京バラセミナー)

5月26日は第2回の東京バラセミナーだった。(昨年同様京成バラ園)
その前日は菜穂ちゃんの家へ。
加奈ちゃんの香りのトリートメント独立の為の最終チェックで
私がモニターをさせていただく。
菜穂ちゃんのアドバイスで加奈ちゃんのトリートメントがどんどん変化して
素晴らしくなっていくのを心地よく味わう時間。
肌、細胞、身体さんを慈しみながらのトリートメントって幸せだなぁ。
加奈ちゃんありがとう!

菜穂ちゃんの家には充子も合流。トリートメントを受ける。
加奈ちゃんがもともと持っている美しさや、母なるものや、豊かなもの・・・等を
今までは照れてわざと茶化してしまってたけど 
これからはそれがどんどん惜しみなく溢れ出すのだろう。
トリートメントをする度に加奈ちゃんは白く柔らかくたおやかに綺麗になる。

充子とはちょうど1年前のバラセミナーの前日にも菜穂ちゃんの家で会った。
その時はたしか7年ぶりの再会だったね。
あれから1年。本当にこの1年で色んなことが変化したね。
変化が加速する私達の1年はものすごく濃い。

そして仕事帰りのるうちゃんもやって来てくれた。
本当に久々! 会えて嬉しかったよー。
るうちゃんを見ると一緒に食べたバラソフトを思い出す。(笑)

そしてバラセミナー当日は勿論快晴!
サポートが入るから晴れないわけがないっ!
昨年5月の日記にも書いたけど 本当に見渡す限り薔薇薔薇薔薇! 
朝日に輝き、いい香り~。

今回のバラセミナーには金沢からまこちゃんも参加。
そしてさやかさんの可愛い息子さんに、お母さん、おばあさまと
なんと4世代で参加! なんて素晴らしいのだろう。
笑顔と涙と輝きが忘れられない。
その場にいるだけで穏やかな幸せが溢れてくる。

昨年と同様池の奥のメタセコイヤの周りに輪になって座ってエナジーワークを受けた。
私たちのサポートをしてくれるその樹の肌は温かく柔らかい。
「1年ぶりだね。よろしくね。」って声をかけてみた。
大津さんが樹とお話ししたら「優理(ゆうり)」って呼んで欲しいって言ってたんだって!

エナジーの誘導が始まる前から もうエネルギーは流れていて私の身体が揺れ始める。
と同時に池の蛙さん達も合唱を始めた。
今回のエナジーではメタセコイヤの優理ちゃんを通してエネルギーが流れ
そのフィールドと私達が一体となって黄金の柱になってる感じで
そのまま上昇してゆく。
幾何学模様を感じたのだけど、いつもは一つの中心から広がって行く感じなのに対し
今回は沢山の幾何学模様の球が重なり合って響きあってる感じで、
沢山の中心が同時にあって存在していた。
そしてそれがフラワー・オブ・ライフなのだって思った。
それと同時に中心である私がいて、私のフィールドは肉体このままで
とてつもなく大きく広がって存在していた。
もはや真我は離れていなくて肉体を持った自分そのものであると感じられる。
そして目を覚ます誘導に入る前に勝手に目がパッチリ開く。
と同時に蛙の大合唱も止んだ。

バラセミナーは地球や自然のサポートをそのまま受けることが出来る幸せなセミナーだと
改めて感じた。
ほんと、おすすめ!
秋バラの季節にも開催出来るといいね。
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by chandra-k | 2009-05-27 22:57 | Comments(10)

ブログ

2005年7月末からスタートしたこのブログを今プリントアウトしている。
もう少しで終りそうなんだけど 記事数は505件。ページにして1000枚以上。

「次に私がやるのはブログだ!」という気がして始めたこの日記。
昨年から「今度はこのブログをまとめる」必要を感じていた。
でも昨年は やることはわかってるけどなんだか手をつけることが出来なかった。
そして今年七次元意識に入り、今やるんだとはっきりわかっている。
昨年の段階では 今までのものをかなり残しながらまとめる感覚があったけど、
今はそうではなく、今の私の波動で書き下ろす必要があることを感じている。
だからこそ今なのだろう。
今まで私が体験し学んだことを今の私が今の波動を載せながら書いてゆく。

当時の体験をリアルに残したいところは以前の記事から抜粋して手直しし、
また体系的にまとめてゆくために 今までの記事を俯瞰する作業が必要。
ということでチェックを入れるためにプリントアウト中というわけ。
コピー&ペースト作業と保存のためにMieちゃんが今までの日記をすでに昨年末にファイルしてくれた。
本当にMieちゃんありがとう!!! ものすごーく助かってるよ!!!

というわけで少しづつとりかかり始めた。
これからはその作業を進めてゆく。
よってこの日記のペースはかなり落ちると思う。
でもまあ、これは忘れっぽい私の記録日記(覚書)なので
変化があった時や記録しておきたいことは書くけどね。
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by chandra-k | 2009-05-17 21:24 | Comments(6)

光の珠

菩薩意識(七次元意識)に入ったメンバーが10人になり、
毎月第一木曜はメンバーの誰かが担当してお話をする菩薩セミナー。
皆それぞれ個性が違うので毎回色んなエネルギーの輝きを感じられるはず。
今日はその第2回でやすりんさんの担当。

一言で言うと やすりんさんの清らかで軽やかで優しい波動が部屋を包み
本当に心地よい時間だった。
「天国の波動」とか「温泉につかってるみたい」とか皆口々に言ってたように
やすりんさんのエナジーに近い。
お話する声の波動や色あい、呼吸がそうだからなのだろう。
そのエネルギーに身をまかせながら 自分の中で感じることをメインにしながら
お話を聞いていた。

宇宙意識と三次元との感じ方と顕わし方の得意分野・アプローチのし方が
やすりんさんと私とでは逆の学びなので面白い。
こうしてみんな個性が違うから共に学んでいて楽しいのだなぁ~。
私達は「ひとつのわたし」であるからこそ 
「違う私」というバリエーションに分かれている。

やすりんさんの宇宙意識の感じ方が私にはとても参考になるので
お話の内容に沿って意識を合わせながら聞いていた。
石さんの話では 川の流れと川原を見てる感覚になり
飛行機さんの話では 空から地上を見ている感覚になった。

最後に明想を皆でしたのだけど、「天使の羽を感じて下さい」という言葉を聞いた途端
私の翼が久々にぐわぁ~っと広がる。
しばらく翼を意識しなかったけど こうして意識すればいつでも現れる。
しかも気がつけば私の成長と共にいきなりでかくなっていた。
ほんとにでかっ! しかも力強く逞しい。

そして翼を広げたまま地球を想うと 私は愛の星地球を
愛おしく慈しみながら抱えていた。
私がマリエルだった頃、私は光の珠を抱えていた。
前世のユダヤの少年だった私も光の珠を抱えていた。
その光の珠は自分であり、地球だったのかもしれない。

私は地球という光の珠を抱えたまま 気がつくと地球そのものになっていた。
地球と言う光の珠が何重にもなって 私の腕の中に、外に、まわりにあった。
そして地球の中心はまるごと私で、それでいて宇宙の中心。
この感じは絵に描けそうだな。

昔描いたマリエルの絵はどこか淋しげだったけど
今ならきっと優しく満ち足りて微笑んでいるものになりそうだ。

軽やかに目を開けた。
やすりんさん、とても心地よい空間をありがとう。

来月は珠ちゃんだね!
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by chandra-k | 2009-05-07 21:45 | Comments(4)

命がけ

TVを点けると今日も清志郎さんの映像が沢山流れてる。
こんなにどこの局からも映像がひっきりなしに流れるって初めてだなぁ・・・。
「反骨精神の人だった。でも、優しい人で・・・」なんて言ってる。
「でも」「BUT」じゃないんだけどな。
優しいから、大切なものがあるからこそ「これでいいのかよ!」って言ってただけで 
どっちも愛から来てるんだから。
愛の次元が違うだけだ。

清志郎さんのことを想いながら「命がけ」ってことについて考えていた。

勿論「いのち」は永遠で、肉体を手放してもなくなることはないけど
肉体を持って生まれて来た以上 そこで何をあらわすかってことは大切なのだと思う。
「命がけ」ってことは肉体の死をかけてってことというより
どこまで自分の「いのち」「たましい」をそこに込めて生きるかってことだろう。

自分が何を顕わしたいのか、つまり何をしたいのか。
そこの中心にあるのは何なのか。

清志郎さんが喉にメスを入れる選択をしなかったのは
彼があらわそうとしたのが「うた」そのものであり「ロック」そのものであり
「ブルース」そのものだったから、なんだろうな・・・・。

私だったらどうだろう。
私があらわそうと決めているのは真我であり、それをどこまでも深く表現してゆくこと。
それを伝えてゆくことと考えれば 私は声を失っても別の手段を選ぶのだろうと思う。
私にとっての中心は真我を、真理を生きて顕わすことだから。

「命がけ」と言った時、私はエガちゃん(江頭2:50)のことも思い出す。
彼は多くの人から「突然乱入してわけのわからないことをする変な人」と認識されて
相当嫌われているけど 実は彼は「命がけの人」であり、
そこいらの芸人やロッカーに比べたらものすごい芸人でありロックンローラーなのだ。
熱狂的ファンが多いのもよくわかる。私も大好き。
だから命がけで北朝鮮に行ったり、トルコで逮捕されたり、数々の伝説を残している。
彼のDVDを見ると彼が相当頭がいいことがわかる。
そしてどこまでを芸として計算しているかを考えるととてつもない。
彼の芸はとうていテレビという常識枠におさまるレベルのものではないこともよくわかる。
そして何より「命がけで楽しんでいる」のがいい。

清志郎やエガちゃんを例に出すと「命がけ」って特殊な感じに思えるかもしれないけど
そうではなくて どんなちいさなことにも日々自分がやろうと選択していることに
どれだけ魂をこめられるかなんだと思う。

それは自分が日々選び取って、構築している「自分が顕わしたい自分」を
ちゃんと自分で決断して認識して 自分自身へ意思表示して 宣言すること。
それによってより明確に三次元で機能出来るのだと思う。

珠ちゃんが日記で「責任をとる」ことに関して書いていて
私のことを「潔い」と書いてくれた。ありがとう。
確かに私は責任をとる覚悟はいつでも出来ていたように思う。

大体、放送で何かを発言するってことは自己責任が伴う。
しかも私はかつてけっこう過激な放送をしていて(しかもNHKで)
社会に対して拳を振り上げていたからそれなりの覚悟はいつもあった。
匿名の活字による暴力も受けたこともあるし、
今で言うストーカーまがいのことを体験したりもした。
調子に乗って軽い気持ちで言ったことが ある聴取者に嫌な想いをさせてしまって
放送で謝罪したこともある。
でもいつだって私は私であることを隠しようがなかったし、隠そうとも思わなかった。
「私は逃げも隠れもしないから、言いたいことがあったら匿名ではなく
ちゃんと名前を書いてきて下さい!」って思ったりした。
だからこそ自分がやることにはいつでも「私です」と言ってきた。
このブログにしてもそう。匿名にはしない。
自分が発したものから返ってくることは全て引き受ける覚悟で
はじめから自分の名前と素性はクレジットした上で書いてきた。

LED ZEPPELINのコピーバンドCINNAMONの公演を、エルパークと市民会館で
個人主催で行った時も 悪天候等で飛行機が飛ばなくて公演中止になった場合
自分がすべての責任を負う覚悟で200万を準備した上で決断決行した。

どれだけの強い想いで決断し行動するか。
責任も大きいけど、その喜びも大きい。
責任は負の要素ではなく自分をより大きな喜びに誘うわくわくのようなもの。。

まあ私の場合も特殊かもしれないけど、でも決断して、覚悟をして、実行することって
大きい小さいにかかわらず自分の顕わし方の方向性の意思表明であり
それによってこの三次元においては大きな波が出来るのではないかと私は思っている。

なんていうか、緯度経度合わせて照準を定めてロックオンして発射!みたいな・・・。
エネルギー集中して物質化ってなかんじ。

もちろん何もしなくてもここに存在しているだけで素晴らしいってことは大前提だけど。
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by chandra-k | 2009-05-06 01:48 | Comments(4)

愛しあってるか~い!(追記:清志郎画伯の言葉)

清志郎さんが亡くなった。
夜のニュースを見た瞬間の気持ちはなんとも表現しようがない。

ジョンレノンが銃に倒れた時も、スティーヴィー・レイヴォーンの事故を知った時も
フレディー・マーキュリーの訃報を受けた時も・・・・・他沢山のアーティスト達が
亡くなったことを知った時も なんとも言葉にならない想いに包まれたけど
大好きだった人で、しかも何度も会ったことがあるミュージシャンの訃報に
ただ「ああ・・」とだけ呟いてしまった。

チャボさんや、三宅さんは今何を想ってるかな・・・・。

あれは1979年大晦日 浅草ロックフェスティバル(NEW YEAR FESTIVAL)の
RCのステージをTVで見てノックアウトされた。
そして1980年6月1日 今は無き60人位しか入らない仙台のライブハウスでの
手が届く距離で見たライブ以来 仙台のRCのライブには殆ど足を運んだ。
(もしかすると全部かも)

初めて清志郎さんに直に会ったのは1990年。イベントのバックステージだったのだけど
ステージに上がってる時と、インタビューを受けてる時と、楽屋の時の顔が
かなり違っていた。
一人の彼はどこかちょっと臆病な小動物みたいだった。

ロックアーティストって総じてそんな人が多い。
ステージを降りた途端ものすごくシャイになったり地味になったり
本当に普通の人以上に普通で素朴だったり
コンプレックスを抱えて神経質だったり
ものすごく真面目でナイーヴだったり
私が実際会って来た沢山のロックアーティストの殆どがそうだった。
ステージ上のイメージとは全然違う。
外見が怖そうな人ほど実はすごく素直で優しくてものすごくシャイなのだ。

彼らにとって音楽は自分の内側の世界を表現するものであり
ステージは動く生きている作品。
ステージに上がった瞬間にスイッチが入って、サポートが増大して、何かが起きる。
次元が変化する。

チャボさんは以前ギターのことを自分の杖みたいなものだと言ってた。
自分が自分を表現するための支えになってくれるものであり、相棒って。
清志郎さんの歌は彼自身を鼓舞させてきたものでもあった気がする。
勿論それをユーモアで笑い飛ばしてもいたけれど。

「カバーズ」が発売中止になった時 彼の代わりにその歌をNHKの生放送で歌っちゃったりした当時の私は、 拳を振り上げて納得いかない世の中と戦ってるつもりだったけど 
当時はある意味彼が同士みたいな感覚が勝手にあって 彼の歌は私に勇気を与えてくれていた。
喉頭癌になった彼は喉と一緒にずっと見えない何物かと戦っていたのかもしれない。

清志郎さんのことで一番印象的だったことは
私が楽屋で三宅さんにインタビューしていた時に
清志郎さんがちょこちょこ覗きに来て、やがてインタビューに乱入してくれたこと。
それは彼が三宅さんを想う優しさの行動だった。

ステージでの「愛しあってるか~い」に何度応えただろう。

少年のハートを持ち続けた清志郎さん
沢山の愛と優しさとパワーをありがとう。 
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清志郎画伯のお言葉

絵を描くときににはヒジョーによく「目を使う」のだということがわかった。
僕はかつて、ゴッホの絵は抽象画なんだと思っていたけれど、実は、それは対象を凝視して、見たままを描いた絵だったんだ。
こんなにじっくりと、一日に7,8時間も、そして何日も自分の顔を見続けたのは初めてだった。
だけどいくら見てももう分かったっていうキモチにはならない。
見れば見るほど、それまで見えていなかったものが見えて来るんだ。
絵を描くのはとても楽しい。
絵はだれにだって描けるし、絵を描かない人生は、とても大きなソンシツだとオレは思うぜ。


。。。。。。。目を使う。。。。。それは肉眼というより心の目っていうことだろうね。
そして彼はいつもそんな風に世界を見ていたのだと思う。
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by chandra-k | 2009-05-03 17:09 | Comments(8)

地球に優しく

えいこちゃんから布ナプキンをいただいた。
前からちょっと気になってネットで調べたりしたことがあったけど
どれだけの使い勝手かがわからず 結局そのままにしていたところに
嬉しいプレゼント。

「もしよかったら使ってみて下さい。」と頂いたのは
白のネル地を蓬や枇杷で染めたもの。
勿論えいこちゃんが染めて 縫ったものだった。
手触りの柔らかさ、自然の優しい色あい、そして何より一枚一枚丁寧に作りあげた
えいこちゃんの愛の温かさを感じて感動した。

しかもいただいてすぐ使えるタイミングの良さ! さすが私!
使ってみると肌触りが柔らかく優しく、しかも驚きの吸収力。
内側にどんどん吸収して乾くので 表面はさらりとしている。
ネルの力 自然の力にまた感動。

そして使い終えたものは洗面器に水を張って漬け、
一緒にいただいた白い粉(アルカリウォッシュ。成分はセスキ炭酸ソーダ)を
パラパラと振りかける。(これも自然に還るものだという)
そうするとまるで よくテレビの洗剤のCMで見かける汚れが落ちるイメージ映像のように
汚れがしゅるる~と煙が漂うみたいにネルから離れてゆく。
でも汚れって感じがしない。
「ああ、少し前まで私の身体の一部を構成していた粒子達が溶けてゆく~」
そんな風に観察していた。

しばらくすると見事に溶け出して痕跡が全く残っていないことにも驚き。
今度は石鹸をつけて手洗い。
最近洗濯というと全自動洗濯乾燥機にやってもらうか クリーニングに出すだけなので
手洗いするなんて殆どなかった。
丁寧に石鹸で慈しむように洗っていると感謝の気持ちが湧いてくる。
それは布ナプキンへの感謝であり、愛をこめて作ってくれたえいこちゃんへの感謝であり
私の身体自身への感謝。
いのちの営みに対する感動と感謝。
そして自然への感謝であり 地球への感謝であり 宇宙への感謝。
ああ、いままで洗濯をして感謝の気持ちを感じたことがなかったと気づく。

そして洗濯したものを干しておくと えいこちゃんが言ってたとおり
あっという間に乾く。
今までどれだけのものを使い捨てにして どれだけのお金をかけてきたことか。
あらゆる意味で地球に優しい。
それに今まで使っていたえいこちゃんによると これを使い続けると
身体自体も整ってくるという。
本当に素晴らしいことだらけ。
感動! 嬉しい!

えいこちゃんは使ってもらえると自分が嬉しいからと紹介してくれた。
その笑顔がとっても幸せに溢れていた。
えいこちゃんに会ってどのぐらいたったか忘れたけど
私が以前の自分と別人になったのと同じように 
えいこちゃんも以前と本当に変わって どんどん輝いて素敵!

えいこちゃん本当にありがとう!
ECOのえこちゃん、なんつって。
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by chandra-k | 2009-05-02 22:49 | Comments(2)