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人生を愛でる。

前回の日記に続き・・・・・
さらにここ3ヶ月程思っていること。

人生を愛でる。

日本に生まれた私達が四季を愛でることが出来るように。。。。。
そう 私達は移りゆく四季の美しさを慈しみ味わっている。
あらゆる瞬間瞬間を愛でている。
それはこうして四季のある日本という国に生まれ育ったから。
自分で選んで生まれてきたから。

同様にこの地球を選んで生まれたのは この人生を愛でるため。
他の星では何千年も生きたり、身体に変化もバリエーションもなかったりする。
でも私達はこうして最初は自分だけの力では生きられない赤ちゃんとして生まれ
選んだ環境の中で育ち、やがて成人し、だんだんに身体の自由がきかなくなり、
老人となり肉体を離れてゆく。
こうして短い時間を区切って学ぶという選択をして生まれてきた。
そしてその刻々と変化する環境や状況、肉体を通して
あらゆる学びを体験し味わっている。
その時でないと味わえない体験を。
それは過去生を考えても同様。

「おおいなるわたし」はあらゆる「私」という個に分かれ
全く違った体験をし、その学びを持ち寄りやがて全体性に帰還する。
全知全能のわたしは同時にあらゆる私を体験している。
だから個々の学びはひとつとして同じものはない。
あなたも私も、私の今も、過去生の私もひとつとして同じものはない。
だって同じ学びは必要ないから。
だってもともとひとつだから。

命は永遠であり 肉体がなくなっても命がなくなることはないし
すべての記憶が完全に失われることもないけれど
それでも今生の私という体験、それに協力してくれるために
めぐりあっているあなたとの体験はたった一度なのだ。
たとえあなたの魂とは過去生で何度も学びを共にしていたとしても
今こうしてこの条件で、この環境で、このキャスティングを体験するのは
本当に本当にたった一度だけ。
次に巡り合って再会を喜びあえても その時はもう違う個性で出会っているのだ。
そうこの人生は確かに作り上げた舞台ではあるけれど
再演がない舞台。ONE NIGHT STAND.

だからこそ こうして巡りあっていることがいかに尊いか。
こうして体験している人生がいかに尊いか。
すべての尊さ、愛しさ、かけがえのなさに胸が震える。

だからこそ すべての瞬間を、すべての今を味わい、愛でて生きると。
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by chandra-k | 2008-08-31 23:17 | Comments(4)

頭をたれる

ここ2ヶ月程よく思っていること。
それは「あなたの中の神に頭をたれる」

たとえ今どんな姿、状況であろうと、
たとえ今どんなに傷つき苦しんでいようと、
たとえ今どんなに不調和をあらわしていても、
あなたの本来の、高次元の姿である完全性に
頭をたれる。
こころから敬愛する。

それは神という言葉でも、
仏陀という言葉でも、キリストでも、クリシュナでも
命でも、愛でも、なんでもいい。
見ているもの、感じているものは同じだから。

あなたの中の神にご挨拶する。
私の中の神にご挨拶する。
あなたの中のわたしである完全なる神にご挨拶する。
あなたであり わたしである 本質の完全なる大いなるものに
ご挨拶し、頭をたれる。

それはとても心穏やかで、清々しく、慈愛に満ちた感覚。
すっとかすかに微笑みながら 幸せで優しい喜びの感覚。

そんな感覚で日々を過ごしていたら、前回の日記を書いた日
夜中に目が覚めた。
部屋の中は当然ほぼ真っ暗のはずなのに
隣で寝ている夫の顔の辺りが光って明るかった。
驚いて見つめると仏像みたいな顔になってる。
しかも光が動いて刻々と顔が変化していた。
さらに顔の辺りから天井にかけて光が斜めに繋がっていて
それは白く透明に光る蓮と葉の群れだった。
はっきりそう見えたわけではないけれど
ぎっしりと咲いた蓮と葉が道のようになって
眠っている夫の顔の辺りから天に伸びていた。
私は目を見張りながら暫くその光景を見つめていた。

これは象徴的なイメージの一かけらなのだろうけれど
こんな風にすべては光であり 輝く道を生きているのだろうな。

あなたである、わたしである神に
ご挨拶。
そして、頭をたれる。
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by chandra-k | 2008-08-30 17:50 | Comments(4)

豊かさ

愛=調和そのもの、愛=美そのものということは体験を通して実感出来るようになったが、愛と豊かさ、愛と智慧はまだ私の中で一体化はしていない。
つまり愛である豊かさそのものが生きて働いている状態、
愛である智慧そのものが生きて働いている状態をまだ実感出来ていない。

今月はあまり日記を書く気になれなかったので書いていなかったが
ずっと豊かさについて考えていた。

お盆に実家に行った時に 母が作ったつるし雛が飾ってあったのだが
その美しさ、愛らしさ、見事さに感激した。

私の家はお菓子屋だったのだが 出店していた建物が老朽化で建て替えすることになり、新しい建物に出店するとなると 建築費も含めてかなりの出費を必要とされたためそれを機に店を閉じた。
さらに祖母が亡くなったで権利の継承の問題が出たのを機に 牛乳配達・販売の仕事も止めた。
以前は店もニ店舗あり 家族は朝から晩まで休みなく働いていたものだった。
私は小学生の頃から店に出て接客をし、和菓子を経木に包んでいっぱしに販売していたし、高校の夏休みに母が入院した時は 祖母と父が外の店を営業しなくてはならなかったので 私が一人で実家の店を開けて営業していたこともあった。
クリスマスは配達の手伝いをして夕飯を食べる時間もなく家族でパーティをした記憶はない。
休みなく毎日働き旅行に行くこともない、好きな事も出来ない両親を見ていた私は「私は好きなことを我慢する人生は絶対送らない。思ったとおりに生きる。」と、強く思っていた。 

そして今、仕事をやめた両親は突然毎日暇になった。
細々とした年金生活。経済的余裕はないけど時間は沢山ある。
母は植物の世話をし、見よう見まねで墨絵を描き、
今度は和服の生地でつるし雛を沢山作っていた。

昨年最初に墨絵を見た時は
「こんなに絵が描けるのに 今まではそれをする時間も余裕もなかったのだなぁ」
と涙が出た。
そして今年見事なつるし雛を見た時は
「これを人に見せないのはもったいない。ネットで売ったら高く売れそうなのに。」
と思った。
実際ネットで調べると 母が作ったものは5~6万位で売れそうな出来だった。

でもそう思った後にはっとした。
私は「才能がある人が認められないのはもったいない」とか「見てもらったり、評価されないともったいない」と考える癖があったけどついまたそれをやっていると。
心をこめて作ったものを誰かに見てもらったりすることはさらに喜びが広がるものではあるだけれど、それをしなくても作っているだけでそれは満ち足りていて幸せなのに・・・・・。

母にとってはこうして作っているだけで嬉しくて喜びなのだろう。
そしてその満ち足りた気持ちを持っている母は実は豊かだったのだ。
それを最初豊かだと感じられなかった私の方がよっぽど豊かではなかったのだ。
そして今になって考えてみると 私が子供の頃の我家の生活は 確かに働きづめだったかもしれないけれど 両親は働くことに喜びを見つけて 幸せを感じていたのだろう。
「好きなことも出来ない生活」と思っていたのは私だけで 両親にとっては実はとても豊かな生活だったかもしれなかった。
実際両親が不平不満を口にしたり、愚痴ったり、人をうらやんだりしたのを私は一度も見たことも聞いたこともなかった。

同様に私は二人の母がいるような環境で育ち どちらかに甘えてしまうと どちらかが悲しむに違いないと思い込み 誰にも甘えることが出来ない大人びた閉じた子供だったが、それだって 実は私の家族はそんな小さなせせこましいことは思わず ただまるごと家族として仲良く暖かな幸せを感じていたのかもしれなかったのだ。
というより本当にそうだったのだろう。

ただ私だけが勝手に全てを悲観的に見て、不幸を作り出し、一人で閉じていたのだ。
そして「私は好きなように生きる!」と攻撃的な積極性を身に付けていた。

豊かさも幸せも最初からあったのに 勝手に眼鏡をかけて歪めて見ていた。
豊かでなかったのは私の心だったのだ。
豊かさを認めていなかったのだから。

先日のセミナーで大津さんが「豊かさは質なんだよ」と言った。
私だって豊かさは物質的なものでないことはよくわかっている。
いや、きっと本当にはわかっていなかったのだ。
お話を聞きながら考えていた。
その時テーブル上の急須が目に入った。
なんということもない乳白色の急須。
それがピカピカキラキラと輝いて本当にきれいだった。
私は急須に意識を合わせてみた。
その急須はふくよかな空間(内的宇宙)を持ち、
その中に茶葉をはらんで、まるで親鳥が雛を暖めるように抱きしめ包み込んで 自分の中でまろやかに優しくお湯と茶葉を融合させ 幸せな想いで満たし、さらにそれをみんなの茶碗に与えることで自分の役割を喜んで果たしているように感じた。
いかに自分の存在そのものを喜びながらそれを味わって過ごしているか、
それがどれだけ出来るかが質ということで それこそが深さであり豊かさなのだと
その時思ったのだった。

存在そのものが豊かで完全であり 喜びそのものだった。
だから愛そのものは豊かさそのものだった。

<追記>
お盆に実家に行って感じた時は まだ「豊かさそのもの」を感じるにはその入り口を入ったばかりで、気づきのきっかけだったように思う。
その後 自分の中で少しづつ深まり始め、この日記を書いた段階で(涙を流しながら書いていた) かなり何かがわかりかけてきた感じだった。

そして今日(翌日)エナジーワークを受けながらはっきりわかった。
「愛は豊かさそのもの」であり「存在そのものが豊かさそのもの」であったと。
その深さ、豊潤さ。
こんなにも深かったとは。こんなにも豊潤だったとは。
私は今まで無限の広がりは感じていたが こんなに無限の深さがあったと初めて感じた。
宇宙が、世界が、全てが、愛がこれほどまでに深かったとは。
エナジーの間中 涙が頬を伝い続けていた。
それは号泣ではなく、ただただ流れる法雨。
この感覚を言葉では伝えられない。
「愛=調和」を体感した時とは 違った感覚で・・・・
ああ、やっぱり言葉で表そうとしてもぴったり合う言葉がない。
深いとしか言いようがない。
全てが最初からこんなにも完全で こんなにも深かったのだ。
「愛そのものは豊かさそのものだった。」

昨日とまったく同じ言葉でしめくくるしかないが 
私が感じている深さは 昨日とはまったく違う。
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by chandra-k | 2008-08-27 22:40 | Comments(6)

幸せな週末

23日は東京でさんちゃんとトキちゃんの結婚式と披露宴。
私は祝福の司会で参加。
開宴の挨拶で「今日は私にとっても大変嬉しい日です。」と言った時
(よく覚えていないけどそんなことを言った)本当に幸せで涙が溢れそうだった。
祝福の天使のお仕事として数多くの挙式や披露宴の司会をしながら
いつも幸せを感じているけれど、共に学びの仲間として過ごして来た二人が
こうして夫婦として想いを一つにして立っている姿を見ると
私の幸せ感も嬉しさも格別だった。

挙式の祝祷・祈祷の時は神父さんの「キリスト、神」という言葉が
私には「本質のわたしである愛そのもの」と聞こえた。
まきろんは神父さんの声が大津さんの声で聞こえたと言ってたなぁ。

披露宴は本当になごやかで楽しいものだった。
両家の親族・親戚の皆さんは もう昔からの家族や親戚みたいで、
新郎側のお祝いの言葉の時は 新郎側はもちろん、新婦側の皆が
にこにこと嬉しそうにうなずいて話を聞いていて、
新婦側のお祝いの言葉の時もまったく同様。
本当にどちらの家族も最高に素敵なのだ!
披露宴中はあちこちから笑い声が溢れて まさに会場全体が幸せの宴。

二人がこういう家族のもとで育まれ、そして出会い、
また新たなものが沢山結ばれ繋がれて深まっていくんだなぁ。
魂の学びのグループが集っているその場にいるのはやはり嬉しい。

さんちゃんは私のこの日記にコメントをくれたことがきっかけで
私と出会い、セミナーに来て学びの仲間となり、
約1年前にときちゃんと出会って人生を共にパートナーとして過ごすことになった。

私は多くの披露宴の司会をしているので、
打ち合わせの時それぞれのカップルの出会いについて尋ねるのだが
出会って1年ぐらいで結婚する人がとっても多い。
私は夫と7年半付き合って結婚したので 出会ってすぐ結婚するのって
お互いをよくわからないかもしれないよなぁ~なんて昔は思っていた。
でも今は 魂の約束で学びのパートナーを決めて来た同士は
ちゃーんと出会いの糸を手繰り寄せ ベストタイミングで相手に出会って
そして決めるのだということを実感している。
だから言葉や表面意識を超えたところで ちゃんと魂が引き寄せあい
お互いの学びに一番相応しい形でその時が訪れるのだと感じる。
出会ってすぐ結婚を決める人が多いのも頷ける。

私の日記にコメントくれた時からさんちゃんの魂は
ちゃーんとそこに自分の人生の学びに通じる道があり
さらにトキちゃんに出会うことがわかっていたのだと思う。
予定どおりその糸を手繰り、出会ったその日に「結婚する!」ってわかったのだ。
(私も夫と長く付き合っていたけど 出会ってさほどたたないうちに
結婚するだろうと思ってたっけ。)
全てがなんて素敵な廻り愛なんだろう。
さっすが全知全能!

賑やかな二次会が終ってホテルに帰り、シャワーの後は
あっちゃんが香りのトリートメントをしてくれた。
これはとっても贅沢! エステツアーにでも来たみたい。
パンプスを履くので司会の後はいつも足や腰に負担が来て苦しくなるのだけど
あっちゃのおかげでそれが全くなかった。ありがとう!

翌日はまきろん、さっさちゃんと菜穂ちゃんの家へ。
披露宴での幸せの波動が沢山入ってる美しい装花を届ける。
お花のいい香りを味わいながら前日の挙式、披露宴の報告をして
菜穂ちゃんのカナダの話を聞き写真を沢山見せてもらった。
日本とカナダの繋がりが深くなったねぇ。
菜穂ちゃんの美味しい料理を食べながら皆の学びの状況など話は尽きない。

ちょっと面白かったのがザクロジュース。
みんなで飲もうとしたら、ぷかぷか浮いてる白いマリモちゃんみたいなものを
発見。箸でとったらちょっとコロコロしてる。
カビ? と思って取ったけど、ジュースに手をかざすと変な感じはしない。
リーディングしても飲んで大丈夫って感じ。
別に悪くなってる感じがしない。
皆で少し手をかざしてエネルギーを入れてみると 少ししたら
奥の方からピリピリしたものが出てきた。
「違うところに繋がってるみたい」とまきろん。
確かにそのジュース自体から出てるというより 離れたどこか。
「このザクロが実ってるところかな」
「アメリカだね」
そんな話をしていたら 広い土地と青い空を感じた。
このザクロが生まれたところにエネルギーを送って欲しかったんだね。
そしてこの白いマリモちゃんは そのためにわざと目に付くように
浮かんでたんだね。
そんな話をしながらヒーリングしていたらとても波動が軽くなった。
菜穂ちゃんの家からザクロの農園に繋がった。
こんな風に私達はどこへでも繋がっていけるんだなぁ。
だって一つだから。わたしそのものだから。
勿論そのザクロジュースをとても美味しく飲んだ。

幸せで充実の週末だった。
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by chandra-k | 2008-08-25 21:33 | Comments(3)

背中を叩く!

昨日の蓮まつりの日記にエピソードも色々と書いたが
そのうちの一つが くにちゃんの仕事の話題だった。
みんなで色んな話をしていたが その話が落ち着くと
何度もくにちゃんの話に戻ってゆく。
みんなして同時に集中砲火!(笑)
特に私と珠ちゃんは やたらくにちゃんの背中を叩きたくて
バン!バン!と音が出るほど何度も叩いていた。(わはは)

そして今日は事務所でエナジー。
くにちゃんが来るなら、そりゃまた会って背中叩きたいっ! と思ってた。
でも10:00~CM録りの仕事が入り 行けないかな~って思ってたら
キャンセルになる。やっぱり行く必要があるってことね。

さて今日のエナジーは波動の違う色んなゴールドの光を感じたのだが
総じて幾何学模様に広がるゴールドの光が多く、
中でも印象的だったのは三つのゴールドの光が重なり合い
その中央がチカッと光り マリア様のシルエットになった。
マリア様だ!って思ったからきっとそうなんだろう。

最後にハートの中心が定まった状態で目覚める時は
自分を中心にいつもより強固なガッツリしたものを感じた。
ガッチリっていうよりガッツリ!って感じ。

エナジーの後もまたくにちゃん中心で話題が展開。(笑)
またしても私は背中を叩いていたのであった!
だってなんだかやりたくなるんだも~ん。
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by chandra-k | 2008-08-11 23:33 | Comments(4)

蓮まつり2008

今年で3回目の蓮まつりセミナー。
でも個人的には4年連続船に乗って蓮を見ている。
今年はお盆に近いってこともあり、晴天が続いたこともあって
蓮の面積が明らかに今までより大きくなり 葉も青々と丈も高い。
かなり見ごたえがあった。

蓮沼を見下ろす会場でのセミナーとエナジーはいつもサポートが多い。

実はセミナーの4日位前から私は頭が痛かったのだが、
同じ時期夫も毎日頭が痛いと訴えていた。
でも二人とも心はとても穏やかだった。
ヒーリングをしても別にピリピリした痛みも出てこないし、
ヒーリングしていると額からエネルギーは入って来るし、
少し良くなってはまた痛くなるのの繰り返しだった。
はたしてこれは私の痛みが夫にうつっているのか
夫の痛みを私が感じているのか・・・・?って感じだった。
どうもその両方のよう。
最近夫も私の影響か敏感になって来ているようだし
煙草を止めたことで身体が変化しているようだった。
(コーヒーを全然飲まなくなって ビタミンを欲したり・・・・)
つまり二人してエネルギーが入って来て頭が痛くなってるみたい。
そして今回のエナジーは特別エナジー的な感じで
沢山のエネルギーが流入して額に圧がかかって
エナジーが終了する頃には頭痛が収まっていた。
そして思った。きっとこれで夫の頭痛も収まってるなって。

二人して共に協力しあって変化する感じになってきた気がする。

毎年蓮まつりは色々なエピソードがあるのだが
今年もいろいろと面白かった。
ま、詳しくはおいておいて・・・・・

家に戻って夫に尋ねると やっぱり頭痛は予想通り収まっていた。

セミナー会場から見える蓮沼。
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内沼
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世界の蓮
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by chandra-k | 2008-08-10 22:58 | Comments(4)