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尊び、敬愛し、賛美する

昨年「存在そのものが愛そのもの」とわかった時
大津さんから やっとそこまでわかるようになったねと言われた。
「でも 私の感じる『存在そのもの愛そのもの』の周波数とでは
まだ差があるよ」とも。

「愛」とか「宇宙」と語ったり思ったりする時に 
どれだけ深く、高く、広く、感じているかで
その周波数は全く違うわけだが それと同様に
「存在そのものが愛そのもの」についても その理解度によって
表現される想い(世界・周波数)がかなり違うのだろう。
私がわかったといっても そのレベルはまだまだ浅いものだったのだろう。

「存在そのものが愛そのもの」とわかってからは、
全てのものはあるがまま存在しているだけで素晴らしいと感じたし、
私の学びの協力者である魂には、「存在してくれてるだけでありがとう」と 
感謝の気持ちで一杯になった。
さらに様々な執着や枠が外れることによって 相手に対する想いも
以前よりずっと深まり、純粋なものとなって、慈しみの気持ちが溢れ 
愛の深まりを自分自身ではっきり感じられるようになった。

色々学びながら私も成長し、以前に比べたら様々な状況に対し
かなり心が揺らがなくなった。
何度もこの日記に書いているが 私をここまで成長させてくれた
魂の協力者である夫に対し ひたすら感謝出来るようになった。
(かつては自分がサポートしてきたつもりだったが実は私がサポートされていた)
でもそれと同時に、ある想いが私の中にずっとあった。
それは、ある意味私の側からの見方というか 私の学びに焦点をあてた見方であり 
逆に夫の魂の学びのレベルから見たらどうなんだろうというものだった。
果たして本当の意味で私は夫をどれだけサポート出来ているのだろうと。

ただ私が変わり成長しさえすれば、夫も私へのサポートという大変な役割が終わり
その後本格的に変化し始めると思っていた。
(実際それが早道だから。そして確かに変化してきた。)
だから私はまず自分が成長しなくてはと頑張って来た。
そして私と夫では成長のスピードが違うので あせらず慌てず見守ろうとも。

でも珠ちゃんと知ちゃんと話してて、
「やりすぎだ。自分のキャパを越えてまでやってる」と言われた。
私が頑張らないと様々なトラブルを乗り越えられなかったから実際頑張ってやってきたし、
それをずっと続けてきたからそれがた当たり前になってたのかもしれない。
そして実際私には全部出来ちゃったし、それを継続してきたために
だんだん大変と思わなくなってたかもしれない。
何もかも一人で何役も頑張って来た私は気づかずに
相手の役割、スペースを奪ってきたのかもしれない。
「存在そのもの愛そのもの」と感謝していたけれど
相手の魂そのものを純粋に尊び、敬愛し、賛美するという想いが足りなかった。

子供の頃から甘えること、頼ることを知らなかった私は
夫と出会ったことで頼ることを覚えた。頼ることも愛だと知った。
今では困った時、サポートが欲しい時は仲間に頼っている。
(勿論頼ることと依存の違いはわかってる)
でも考えてみると今私は夫に頼って(甘えて)いなかった。
自分がやってること、成長はスピリチュアルな問題だから
それを話してもわからないと思っていた。
真理がわかるわからないで頼る頼らないを決めていた。
ああ、新たに「スピリチュアル分離感!」を作り出していたのだ!

昨年浄化&鉄分不足のため咳のしすぎで骨折してた時も
医者を拒絶し、夫に「医者に行け」と言われるのが嫌で
家ではひたすら痛みと苦しさに黙って耐えていた。骨折してたことも気づかず。(苦笑)
(苦しいよぉ~って訴えてもよかったのに・・・・)
そして今、喉が調子悪く喉を保護するために家で無口になってた時
夫が「元気ないな」と言っても 「うーん眠いだけ」とごまかしていた。
これは私の学びの課程だし、気にするとまた作り出すという理由で
自分の苦しさや そこから来る不安を夫に訴えたりしなかった。
わかるわからないは関係なく どんな思いでもシェアする気持ちが
足りなかった。
素晴らしい協力者と言いながら 本当の意味で自分を開いていなかった。
果たしてそれが本当の愛であり調和なのかと問いかけをすべきだった。

調和はバランスではないと頭ではわかっていながら
家においては調和ではなくバランスを必死でとってきた。
お互い共鳴しながら共に学び、共に成長し、新たなものを生み出してはいなかった。
響き合って調和するってことが足りなかった。ああ。。。。。
自分を信じきることも、相手を信じきることも、全知全能を信じきることも
まだまだ出来ていなかった。
そしてその信じることを言葉でちゃんと発して、行動するということも
かなり足りなかった。
「私の愛は言わなくても伝わってるはず」ではなく、ちゃんと伝えることを
しなくては。

今まで自分がやってきたことを後悔はしていない。間違ったとも思ってはいない。
おそらく極端に学ばないと私はここまで成長出来なかった。
でもこれからは違う。
常に「これは本当に愛なのか、本当に調和なのか」と問いかけをしながら
本当に愛である自分を信じ、愛である相手を信じるとはどういうことか
愛を認め愛をあらわすとはどういうことか、
本当の調和とはどういうことか深く深く認め、
愛そのものである全てを尊び、敬愛し、慈しみ、賛美し、まるごと味わい、
「存在そのもの愛そのもの」の想いをもっともっと深く、高く、広く
あらわしていこう。

珠ちゃん知ちゃんありがとうね!


追記:私は夫によって頼ることを初めて覚えたと書いたが、20代の私の「頼ることも愛」のレベルは、「頼ることも相手に対する優しさ」という認識だった。
つまり、「自分は頼らなくても生きていけるけど、相手は頼られると嬉しがるから頼ってあげよう」といったかなり傲慢なものだったと気づいた。相手に対して「頼ってあげる」というもので 序列を作ってたってこと。
それってものすごく相手の魂に対して失礼なことをしていたことになる。
かなり浅かったなぁ~。と大反省!
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by chandra-k | 2007-08-31 18:00 | 私について | Comments(10)

本人に訊く

我が家の冷凍庫があまり冷えなくなり買い換えた。
結婚した1987年の初売りで購入したので約20年と8ヶ月。
リーディングして「寿命なの?」「お役目終わり?」って訊いたら
そうだというので買い換えを決めた。
冷蔵庫の寿命は10年~13年位らしいので 本当に頑張ってくれたんだと思う。

配達日の今朝、冷蔵庫に向かってお礼を言おうよって
「20年間1日も休み無く働いてくれて本当にありがとう」と手を合わせたら
夫も一緒に手を合わせてくれた。
20年一緒にいたんだなぁ~って思ったらじわーっと来ちゃった。

「引越しの時 加奈ちゃんがキレイに拭いて掃除してくれたよなぁ」と夫。
よく覚えてたね。そのとおり。
働き者の加奈ちゃんは引越しの時大活躍で とっても丁寧に冷蔵庫を掃除してくれた。
加奈ちゃんあの時は本当にありがとう!

ところで私の周りには物の声を聞くことが出来る人が多い。
(正確には聞くというより 想いとして浮かんでくるって感じ)
最初から出来た人もいれば 学びが進んで出来るようになった人もいる。
私はまだ声が聞こえないけど なんとなく気がする、って感じ。

で、最近は野菜などを茹でる時は本人に訊くようにしている。
以前は何も考えないで茹でてたので 茹ですぎで柔らかくなりすぎたりすることが
多かったのだけど、最近は茹でてる最中に集中して見てると
なんとなくだけど「今だよ!」って教えてくれてる気がするので
そのタイミングでザルに上げるようにした。
そうしたらブロッコリーもアスパラも茹で上がりが美味しくシャキシャキになった。

すべてはエネルギーなんだよねぇ。
それをいかに受け取り、交流するか。

私は以前は買い物に行くのが面倒だし、1万以上買うと配達が無料だからと
1ヶ月に数回無計画に大量のまとめ買いをしていた。
そして仕事がたてこんで外食したり 料理を作れない日が続いたりすると
野菜などを腐らせてしまうということがよくあった。

でも最近は野菜など生ものはこまめに買ってすぐ食べるようにしている。
これは菜穂ちゃんのおかげ。
前に一緒に珠ちゃんの家に行った時
「今日は南のエネルギーが必要って感じ。」と言って
メロンを購入したのだった。
食べ物にたっぷりつまったエネルギーを一番いい状態でいただくことの
大切さを菜穂ちゃんに教えてもらった。
それが実りに対する感謝となる。

いろんなものをエネルギーで捉えると感じ方が変わる。
表面で見えるものと違った動きが感じられる。
見えないものが見えてくる。
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by chandra-k | 2007-08-25 20:54 | Comments(3)

ヒーリング

今日は私がディレクターをやってる番組で連絡不行き届きのトラブルがあって
大急ぎで集中して処理していたら イレーサーのスイッチが入りぱなしなのに
全く気づかなかった。
イレーサーってのは磁気で記録されてるテープ等の磁気を強力に消去する機械。
時計等を近づけると狂うので普段は気をつけて使用している。
通常秒単位で使うのだけど 私の左足の脇で作動したままの状態で1時間。
私は電磁波等に敏感な方なのだが 今日は「なんかブーンって振動するなぁ」とは
思ったものの まさかそんなこととは思いもよらなかったし
仕事で忙しかったので全く気づかなかった。

その仕事を終了と同時に機械のパワーランプが点灯していることに気づく。
はっとすると 左足が変な振動をしている。
明らかに右と左の感覚が違う。左足に力が入らなくてスカスカしてる。
やっちゃったーっ。
気づかなかった私がうかつだった!

今日の午前はエナジーワークがあったのでまだ皆いるはず、と事務所へ。
そこにいた皆にヒーリングをしてもらった。
「左側が渦巻いてるね。でも徳ちゃんの細胞は大丈夫って言ってるよ。」
と、トモちゃん。
「イルカさんがやってきてる。最初2匹だったけど、今4匹になった。」
と、やすりんさん。
(やすりんさんは昨夜イルカさんと話が出来るようになったら
それ以来 そばに来てくれるようになったそう)
「ピリピリでてくるねぇ」
と、ろぶろいくにちゃん。
「光り方がおかしい。緑色で流して『ファルフ』って意識するといい。」
と、大津さん。

「ファルフ?」
「振動数に影響を与える波動というかんじ。今 浮かんで来た。」
「もともとの振動波に絡み付いて 違ったものに変換されるかんじ。」
とのこと。
さすが必要な時に必要な情報が必要なだけ与えられる!
確かに 想いで「ファルフ ファルフ」と繰り返すと振動が変化する。

おかげさまで右足と左足の振動と感覚がほぼ同じになった。
皆さんありがとうございました!

波動が「フィンフ」で
電磁波などの変換は「ファルフ」か!
電磁波防御マークも教わる。
さっそく忘れないようにメモをとったら さっさちゃんが
「徳子さんが日記に書いてくれるからメモしなくても」と。
はい、覚書きしといたよ!
さっさちゃんも電磁波の影響をガードしたほうがいいもんね。

こうして皆にヒーリングしてもらえるって幸せだなぁ。
そして昨日私が珠ちゃんをヒーリングしながら涙が流れた話をちょっとした。

ヒーリングが出来るようになったばかりの頃、私にとってのそれは
「病気を治せて 医者にいかなくてもいいからお金もかからない。
自分の痛いところも治せるし 家族が辛い時も治してあげられる。」
といった、便利で、人の役に立ち、喜ばれる能力でありツール。
そんな感じだった。
でも今は違う。
ヒーリングは私達が本当はひとつであることを実感させてくれるもの。
ヒーリングをする者される者というかたちはあっても
お互いのエネルギーがあらゆるレベルで交流し 共鳴し
互いの持っていないものを補い合って調和に向かい
新たな響き合いを作り出し 深めてゆくもの。
分かれて学んでいるからこそ ひとつになることの感動を味わえるもの。
。。。。。そんな感じ。

だから昨日珠ちゃんが激しい浄化中で肉体的には苦しがってたけど
その苦しさに共鳴するんじゃなくて
共に調和に向かいながら その過程を共有できている幸せみたいなものを
感じて涙が出た。
そして珠ちゃんの浄化は私の浄化でもあった。
そしてそれを祝福するかのように降り注いだ金と銀の光に
感動して涙していたのだった。

よくヒーリングして自分のエネルギーをことごとく消耗し(一方的に与えるだけで)
相手のマイナスを全部背負い込んで(全部自分で引き受けて)
ボロボロになっているヒーラーがいるけど
それって「治してあげる」とか「GIVE&TAKEの感覚」だったり
強制の意識が入ってるからなんだろうなぁ。
勿論同情とか共鳴もあるだろうし。
結局それはあなたと私は違うっていう分離感や善悪の観念からきている。
私達は創造主だから思ったとおりの現実を創り出す。
対処療法的意識によるヒーリングはそれに応じた現象が現れる。
そういうことだよね。

しあわせなわたしたち。


追記:ところで 私がヒーリングして物理的に吐いた(吐かせた?)人が何人もいるのはたまたま? 蓮祭りでは去年も今年も弘子さんをヒーリングしてて・・・2年連続で吐いた。去年の蓮祭りの帰りの車中 さっさちゃんはおばけだんごを吐いた。乗り合わせた陽子ちゃんは家に着いて吐いた。今回は珠ちゃん。これって・・・・?
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by chandra-k | 2007-08-24 00:11 | Comments(6)

金と銀の光が降り注ぎ・・・・

このところあちこちで連動して皆変革中!
壊れてたり出してたり!(笑)
私は昨日まで3日間頭痛だった。だるだる。
一昨日のセミナーの時もずっと頭痛だったのでヒーリングしてもらったら
大津さんは「しかーし、感心する! 皆よくこんなに作ってるよね」と
何度も聞いてる言葉を口にしていた。

今日は珠ちゃんと4回目の酵素風呂。(最終回)
回を重ねる毎に汗の量が増え 今日は体中がどっくんどっくん脈動してた。

酵素風呂が終わった頃から珠ちゃんが胃が痛いと言い
その後遅いランチを食べに行ったものの そこで激しい浄化スタート。
私がヒーリングしては 珠ちゃんがトイレに駆け込んでしばらく出て来れない
状態の繰り返し。
後で「死ぬかと思った。救急車を呼んでもらおうかと思った。」と
言ってた程だった。
でもその最中のヒーリングで感じたものは感動的だった。

金と銀の光が美しく輝きながら私たちに降り注いだのだ。
珠ちゃんは視覚化して見たと言ってたけど、
私は見えいなかったけど「ああ。。。金と銀の光が降り注いでる。。。。」
って感じていた。
(後で同じものを見て感じていたってわかった。)
そしてこうして一つであるわたしが かたちを持ってここに共にいられる
幸せみたいなものを感じて涙が流れた。

夜はみんながシェルティさんのヨガに集合することになってたので
タクシーでそこに向かう。
(今日は姫路から再伝授とセミナー&ヨガのため ろぶろいくにちゃんが
来ている。)
またみんなで珠ちゃんをヒーリング。
ヒーラーだらけってのは心強いよね。
「純粋な意識 純粋な心 純粋な魂 純粋な身体」を想ってヒーリングしてたら
また涙がこみあげて・・・・・
なんで私がこんなになったのかわからない。

内なる自分と対話するとっても神聖な気持になれるヨガの後は
そのまま皆であっちゃんの家へ。
珠ちゃんは大津さんのヒーリングを受けてたから今頃は復活してるだろうな。

さて 本日もう一つのメインはときちゃんの幸せなお話。
他の人の幸せを自分のことのように心から喜び合えるって
なんて私達は幸せなんだろ。(ってか あなたもわたしだから当然だけど)
嬉しいなぁ。よかったね。 
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by chandra-k | 2007-08-23 01:22 | Comments(2)

きれいさっぱり忘れる

8月に入ってから戦争関連の番組が多くて
戦争を知らない世代が増えてゆく中 多くの人が
「こんな悲惨な体験は忘れてはならない。語りつがなくてはいけない。」
と発言している。

それを聞きながら これからは全世界できれいさっぱり忘れたほうが
いいんじゃないかと思っていた。
今までは「これは悪いことだからやめましょう」と悲惨な体験を教え、
善悪の規範を示して「するべからず」の学びの時代だったけれど
これからは あらゆる枠をとっぱらって共に調和していく時代なのだと。

私は中国人の女性に日本語を教えているが 彼女は中国では
「昔 日本人は中国人にこんなに酷いことをした」と教わったと言っていた。
そして日本人に対する先入観も持っていたと。
それが日本に来てみてイメージがすっかり変わり日本が好きになったと。
それに対し日本人の若い子は過去に日本軍がしたことの認識が薄いために
外国の人に対する偏見や先入観があまりなかったりしている。
お互いそういう過去の認識・先入観が無い方が裸の人として向き合える。
加害者意識も被害者意識も優越感も劣等感も罪悪感も一切いらない。
あらゆるマイナス、負の意識を自分の中から失くすほうが早い。

今起きている戦争や抗争も 過去に対する認識の教育から来ているものも多い。
そしてその枠によって意識が縛られてしまっている。

勿論今現在 戦争の傷や後遺症で苦しんでいる人がそれを忘れることは
出来ないだろうけれど これからは世界規模で、今まで人間が行ってきた
悲惨な行為 つまりそういったマイナス意識をきれいさっぱり忘れ去り
まっさらな人として新たに出会っていいのではないか。
過去をさかのぼったら どの国も同じようなことをして来たし
親兄弟で殺し合いが行われてた時代だってある。
私達だって転生する時にきれいさっぱり忘れるからこそ
新たな学びをまっさらな状態からすることが出来てるのだし。
(いちいち覚えてたら振り回されて大変)
これからは人種も国籍も性別もあらゆる枠をとりはらい、
障害も病気もあらゆるかたちの違いも ありのままの人として、
あらゆる枠を身につける前の、生まれたばかりの赤ん坊の意識になって出会い、
世界を創っていくことが大切なんじゃないだろうか。

これからはもっともっと時空を越え 国を越え 人種を越え
同じ意識の周波数の人達が繋がり ひとつであることを実感出来る時代なのだから。
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by chandra-k | 2007-08-19 18:40 | Comments(16)

フォーム改造

意識さえ変われば劇的な変化が訪れ 肉体も変化すると思っていたが
自分で表現体である肉体の使い方を変えることも必要だったとは。。。。


この日記に何度か書いているように2月末から急に声の調子がおかしくなり
様々な体験をしながら それと同時に声の状態も色々に変化し
現在もまだすっきりしない状態が続いている。

この半年間私は自分の喉や声から沢山のことを教えてもらった。
自分の執着に気づくことも出来たし、
肉体に対する感謝が足りなかったことも実感出来た。
そしてまた、囚われによって「即座に現象を作り出す」という
原因と結果の法則も何度も体験した。
おそらくこれがなかったら気づかなかったであろうことが沢山あった。

で、激変期をひととおり体験してひとやま越えた感じになり、
私の中で「マイナスの現象体験から学ぶ時期は終わりだな」とか
「好き好んで激しく落ちて そこから学ぶ段階は終了で、
もう落ちることはない」とやっと感じられるようになった。
それまでは「苦しいから落ちるのはやだ。やめた。」とか言いながら
内側のどこかに「体験したがりの自分」を感じ どうしてもやめられなかった。
終わった感じがしなかった。(明らかに好き好んで苦しんでた)

そして意識状態が安定したら 当然私の喉はスッキリ!するものだと
思っていたのだけど・・・・あれれ、なぜかスッキリしない。
最初は気にしすぎだからだと思っていたけど どうもそればかりではない。
あとは意識をどう使えばいいんだろ・・・・って、そこから先に進めなくなっていた。

で、先月末大津さんに尋ねたら「喉が絞まってる」と言われた。
「でも、半年前と話し方は何も変わってないんですけど・・・」
「もう同じじゃだめだってことでしょ。年齢と共に誰でも喉は絞まってくるよ」
ガーン!!!! 「年齢? そんな半年前から突然?」
「あと13%喉を開く必要があるね。喋ってて喉が絞まって苦しいんでしょ」
「はい、まさにそうです」
「絞まった状態で喋るから振動数が落ちて喉に負担がかかってるんだよ」
「確かに・・・炎症がずっと続いてます。ってことは・・・・」

それから自分で自分の声と喉を観察してみた。
すると喉の状態が大きく三つに分かれることがわかった。
私が真理の言葉などを朗読する時は いつも声がとても深くなるのだが
その時は喉が自然に開いている。
普段雑談などで喋る時は 声が浅くて喉が絞まってる。
そして仕事でナレーションをしたり 司会をしている時はその中間。

さらに自分の想いと喉の開き具合を観察すると
心の底から感謝の想いで「ありがとう」と言った時は
明らかに喉が開いて深い声になり 真理の朗読の声になる。
逆に想いは込めていても軽く「ありがとう」と言った時は
喉の開きは小さくなる。
深いところから発声すると思ってもいないことは言えない。

そう認識したところでまわりを観察してみると
多くの人が本当に心の奥から出てくる波動で話していないことに
あらためて気づく。

これは複式呼吸とも関係している。
私は複式呼吸は学んできたし ある程度出来ていたつもりだったけど
常に本当の意味でお腹の底から 自分の内奥から本当の声を発声するということを
やっていなかったのだとわかった。
真理の朗読の時に出来るってことは 普段のどんな状態でも、
どんなお喋りの時でも出来るはず。。。。。
それをしなさいというメッセージか。。。。。
だって最近は普通に喋り始めただけで喉が絞まって苦しくなる。
そして祈りの言葉を発声すると喉がとたんに開く。
もはや私はいつどんな時でも 本当の自分であり続け その自分の内奥から
出てくる言葉をその波動で発声する時期に来ているということか。
常に本質の私の声で話すということか。

すでに私の意識の振動数は半年前とは大きく変わってしまった。
明らかに半年前の私ではない。
その意識の振動数で話すには その表現体である肉体の使い方も
変える必要があるということか。
意識が変われば肉体も勝手に変わると思い込んでいたけど
全てがそうなるわけではないのだな。
細胞の振動数は変化しているには違いないけど、この肉体の使用法は
意識と細胞の振動数に合うように意図的に変える必要があるらしい。

電圧が変化したら それに耐え切れるだけの媒体が必要で
それを通すスペースも広げる必要があるのと同じことか。
以前とまったく同じでは対応しきれないんだな。

ということで今月に入ってから発声を試行錯誤。
まさにフォーム改造。
長年慣れ親しんだ使い方が癖になってるからなかなか大変。
そういえば以前、虫歯の治療で歯をかぶせる時に歯並びも矯正してもらったら
口の中の状態が微妙に変化したために以前と同じ発音が出来なくなり
慣れるまでに何ヶ月か要したことがあったっけ。
(歯の数㎜の変化で発音が大きく影響される)
それと同じだなぁ。

今家で祈りの言葉を言ったあとに 「はい、コーヒー」と言ったり
色々試行錯誤で練習している。
トイレやお風呂で発声してたり
色んな音程で「ごはん出来たよ」なんて言うもんだから
夫は「なんだその声?」と呆れている。
意識が高くなっただけで突然楽器を演奏出来るようにはならないのと同じ。
(勿論ものすごく高ければ全知全能レベルで出来るだろうけど)
肉体という媒体がある以上 それを表現するための練習は必要なんだね。
私という楽器で真理を奏でるために 今私には練習が必要だ。

でも出来ないわけはない。
日常のどんな状態でも 
祈りの言葉や真理の詩を朗読するように
常にそんな周波数で 愛を歌うように
本当に完全に喋ることが。
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by chandra-k | 2007-08-16 01:30 | 私について | Comments(2)

ビッグバン!

最近私は自分の持っているクリスタル
(ピュア・アクアちゃんと、ハーキマー・星の雫ちゃん)にとても共鳴してて
自分の中の「クリアで澄み切った透明で純粋な意識」を、意識している。
そしてそれはものすごくつややかで潤んだ水のように輝いている。
それと同時にそれは燃えていて、うまく言えないけど水が燃えてるみたいな感じ。

そのせいか、このごろものすごく軽やかでさらさらとした波動でいたかと思うと
次の瞬間に身体の内側が燃えて熱い。
この状態を繰り返していた。

そうしたら今日のエナジーワークでもまさにそんな感じ。
あらゆる輪郭がなくなって「空っぽ」「空」で
とても軽やかな自分を感じたかと思うと、
次にはその「空」がみっしりと密度が濃いエネルギーに満たされて
その全てが熱く燃えている。
静謐で、精妙なゴールドの波動に包まれたかと思うと
次には何かが大きく動いている。。。。。
その繰り返し。。。。。。

大津さんの誘導の言葉は忘れたけど
「ハートの中心が燃える」みたいなことを言った瞬間、
私の頭が着火した!
火が着いた瞬間に「ボッ」っと風圧がくるみたいに
私の頭が「ボッ!」となって風圧が明らかに来た!
「おっ!着火!」と思ったとたん
「バンッ!」と私の内側の宇宙がいきなり広がった!
それはまさにビッグバン!って感じ。
今まで「無限なる宇宙」ってのを自分なりに感じていたけど
その宇宙の感覚を吹き飛ばし はるかに大きく深くドッカーンと
いや、パックリと宇宙が口を開いた感じ。
あまりにも大きくて、空っぽで驚いた!!!
(いままでの認識をはるかに超越した大きさ感だったので)

今日のエナジーにはトモちゃんが遅れて来て
途中からみんなの真ん中に入ったからかな。
(イルカさんを沢山従えて いきなり中心にダイブ!して参加。)
愛の炎セラフィムのトモちゃんのヒーリングを受けてから
私は燃えやすくなったんだけど、今日はトモちゃんが中心に
いたせいでまたしても着火したのかも。

ところで9月からトモちゃんのセラフィムセミナーがスタート!
第1回は9/15(土)13:00~ 楽しみだね。
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by chandra-k | 2007-08-13 21:29 | 波動体験 | Comments(0)

荘周(荘子)の言葉

加島祥造氏による「荘子 ヒア・ナウ」PARCO出版からもう少し抜粋。


タオはどこにある

「タオとか、道とか、いいますけれど 
いったいそれは、どこにあるんですか?」
と、東郭子が荘子にきいたこときの話だ。
「タオはどこにも、いたる所にある」
と、荘子が答えた。
「そうでしょうけれど、どこへ行ったら見つかるか、
もうちょっと、くわしく教えてください」
荘子は答えるー
「タオはオケラやアリの中にあるのさ」
「何とまあ、そんな小さなものにあるんですかー」
すると荘子はこう言う。
「タオは、粟や麦の種にあるのさ」
東郭子は叫んだ。
「ますます小さなものの中にあるというわけですね」
「タオは、瓦や壁土の中にもある」
「そりゃあ、ますます悪くなりますね。
そんなつまらないところにあるなんて」
「タオはな、小便や糞の中にあるのさ」
東郭子は口をつぐんで、もう質問しなかった。
すると荘子はこう言った。
「お前の尋ねたことはな、本当は、なかなか返事のむずかしいことなんだ。
タオはどこそこにあると言おうにも、どこにだってあるんだから、
答えようがないのさ。」
「たとえば市場で豚を買おうとするとき、
いちばん太った豚を見分けるのに、足をみるだろう?
それと同じさ。
タオは、宇宙だ混沌だ天空だと大仰な言葉を使うからわからなくなる。
ものの本当の真実はな、もののいちばん下に、あるものだよ。
だからこそ、偉大な教えと言えるんだがー」



すべてのもとは、ひとつ

すべてのことは「これ」だとも言えるし、「あれ」だとも言える。
ひとりの人が「これ」と見ても、他の人は「あれ」と見る。
人というものは、自分が知っているところから物を判断する、
そして自分の知ったところから「あれだ」とか、「いや、これだ」と言う。
だがね、本当は「あれ」でもあるし、「これ」でもあるんだよ。
そこから分かれて出てきただけなんだ。

命は死から出てきたし、やがて死んでいくものだ。
だから同じことなんだ。
何かを指して、これは悪いといっても、
それはね、こっちが正しいとするからそっちを悪いとするだけなんだ。
だから、本当に賢明な人はこういう区別を超えた、
遠くて高い所から、ものごとを見ようとする。
彼はね、「これ」と言ったときには、
もうひとつの「あれ」のほうも見ている、
そして、「あれ」が、「これ」であるってことを知っている。
すなわち、ひとつのものには、
正しいと間違いの両方が含まれているんだよ。

このように、「これ」とか「あれ」とかいう区別を超えた場所に
タオで言う「静かな一点」があるんだ。
この「静かな一点」は、
すべてのものの中心軸ータオの核ーなんだよ。
この中心軸が君の中にぴたっと据わると、
「正しい」も「間違い」もなめらかに回転する。
正しいと間違いとを超えた向こうの、「あの光」を見ている。
それが、本当の智慧というものなんだ。

右とか左とか、善とか悪とか、
そういう区別があったとしても、そのふたつは、やがては一緒になる。
そして溶け合う。
すべてのものは、いつか、ひとつになる。
本当に見える人は、
「すべてはひとつ」という原理をよく見つめた人なんだよ。
その人には区別なんかしても役に立たない。
いつも、区別を超えた場所にいるんだ。
そして、区別を超えていて、いつも変わらないということは、
生きる上でとても大切なんだ。
それは、本当の自分の性質にかえる、ということだよ。
自分の本当の性質の中にいるとき、人は幸福なんだ。
幸福に至ったとき、まあ、完全に生きていると言える。
これが、タオさ。
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by chandra-k | 2007-08-11 00:30 | Comments(4)

絶対無と徳

先週さっさちゃんと大津さんと絶対無について話した。
その時に「ああ、そういえば荘子も言ってたな」と
ある本を思い出した。
(荘子・荘周は大津さんの前世の一つでもある)

加島祥造氏による「荘子 ヒア・ナウ」PARCO出版は
荘子の面白さと楽しさにしぼって紹介している。
しかもそのエッセンスを伝えるために 英訳された荘子を
自由に訳す形をとっている。
(日本人はやたらガチガチにかた苦しく解釈しがちのため。)
この本のとらえ方が好きなので さらにそれを抜粋してみよう。

******************
光と無

「光」が「無」に尋ねた。
「あんたは、いったい存在しているのかね、それとも存在していないのかね?
何の答えも返ってこないので、光はただもう じいっと見つめた。
「無」と言う相手は、ただ暗くて 空っぽであった。
「光」は一日中見つめていたけれど、やっぱり相手がみえなかった。
耳を済ましてみたが 何も聞こえない。
触ってみようとして手を伸ばしたが どこにも手ごたえがなかった。
「ああ」と、とうとう「光」は「無」に向かってつぶやいた。
「まったくこれは、みごとに完成した存在ですな。
こんな完全なところまで悟れるなんて、とても私にはできませんよ。
私自身、とらえどころのないものにはなれますー
そういう存在でいることはできますがね、
しかし、とらえどころのない無の状態のまま、
無意識でいることはできませんよ。
私が無の状態になったとしても、いつもそれを意識している。
あなたは自分が無になった状態を意識さえしていないんですなぁ。
いや、まったく、どうしてそんな見事な状態になれたんですかな?」
******************


振動数がどんどん上がり、波動がどんどん精妙になって
限りなく精妙になると それは静謐で限りなく振動していない状態となり
その究極までいくと絶対無となるわけだよね。
意識とは振動している状態。
絶対無はその意識すらしていない意識。
でもその意識・振動は絶対無から現れて来る。
あらゆる次元で あらゆる周波数で振動が起きて動き・かたちがあらわれる。
そして無限は常に変化・発展し 展開してより無限になる。
ああ。。。。。。はてしない。。。。。。


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神秘な始まり

すべての始めの、またその始めには、何も存在しなかった。
無いということさえ無かった。
それから何かが存在するようになったけれど、
そこには、まだ名がなかった。
この「名のない領域」から「ひとつ」が生じたんだが、
その「ひとつ」にはまだ「形」がなかった。
強いて言えば「エナジー」が生まれた、となろう。
動く力(パワー)が生じたんだ。
その動きが「陰」と「陽」に分かれたー
原理が、まず始めに現れたのだよ。
陰と陽ーこのふたつが動き始めたとき、ものが、形をとりだしたんだ。
ものがひとつの形をとると、そこに、そのものの魂がやどる。
それを、「気」と言ってもいいさ。
「気」が動いて、ものに宿ると、ものの性質となる。
その性質が、ひとつのパワーになると、タオイストはそれを「徳」と呼ぶんだ。
そしてこの徳(パワー)というものの根本の形はなにかというと、
受け入れる容器だということなんだよ。
受け入れる容器というものはからっぽだ、そして
この空っぽの中から、偉大なものが生まれてくる。
受け入れる空間ー
そこに入り込むものは、自分の形を失って溶け混ざり、
すべての意識も、その中に溶け込むんだ。
これは不思議なパワーであり、
「偉大なる調和」と呼ばれるんだよ。
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かつて私は自分はなんて空っぽなんだろうと苦しかった。
でも自分が媒体であり 容器なのだとわかった時
私は自分の役割がわかった。
私はかたちを失い 溶け混ざり 浸透する。。。。。
私はだから徳子と名付けられたのかもしれない。
その時そう思ったことを改めて思い出した。
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by chandra-k | 2007-08-10 00:26 | Comments(2)

七夕伝授

今日は七夕の最終日。
七夕見物に積極的に出掛けたのは子供の頃だけだったけど
仕事が街中であるので結果的に毎年欠かさず七夕を見ている。

私は普段道を歩いているとしょっちゅう道を尋ねられるせいか
地図を持ってきょろきょろしている人を見かけると
ついこちらから声を掛けてしまう。今年も七夕で道案内。

さて今日はs.k.さんの伝授の日。
先日の蓮祭りの後 七夕前夜祭の花火を少し見て帰京し
また七夕の今日仙台にやって来てくれた。
伝授後早速ヒーリングの実践。
私は胃下垂だったので ちょどいいと胃上げをやってもらった。
くくっくくっと胃が動く。そしてどんどん上がって行く。
おかげさまで5.6cm上がった。
s.k.さんありがとう! 

s.k.さんはその後その場にいたメンバーをかたっぱしからヒーリング。
一人一人のエネルギーの個性を感じて感想を言うのを聞いて私は感心!
だって最初私なんてよくわからなかったもん。
伝授を受けてフィールドも広がり 振動数も高くなって
ますます自然や食材や日々の暮らし等から受け取るものが
深く広くなりそうだね!!!
目に映る(心に映る)風景もますます輝くね!!!

ところで今度の私の番組の特集はkisu君のリクエストで
「風景が見える音楽」特集。
DATE FM ロックンロール黄金時代 8/12 25:00~
(ムリヤリ番宣!? 笑)
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by chandra-k | 2007-08-08 21:47 | Comments(16)