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ミツバチプロジェクト

先日もTVで「銀座ミツバチプロジェクト」を紹介していた。
昨年から多くのマスコミに取り上げられ、今年は本も出版されたので
知っている人も多いだろう。

パリのオペラ座の屋上で養蜂が行われ その蜂蜜がオペラ座で売られていることを
ヒントに始まったというこのプロジェクト。
都会の真ん中のビルの屋上でミツバチを飼うということに 
初めは銀座を訪れた人が刺されるのでは? と懸念した人が多かったそうだが
ミツバチは無意味に人を刺さないし、蜜のある場所まで最短距離を飛ぶという習性から
街と人とミツバチが共存可能だと理解を得て昨年実現した。

銀座の約10万匹のミツバチは銀座3丁目の11階建のビルの屋上から
活動範囲の4㎞以内にある皇居や浜離宮、マロニエ通りの街路樹や花壇等に飛び
ソメイヨシノやマロニエ、クローバー等多くの蜜を集めて屋上に帰ってくる。
そしてそこで、そこだけでしか出来ないブレンドの蜜となる。
その蜂蜜を使ったオリジナルスィーツや料理が作られ、
一方ミツバチが蜜を採取したことで、それらの植物は受粉し、やがて実をつけ
それをついばむ小鳥たちが育まれる。
植生は元気になり 植物から酸素が提供される。

ミツバチと星の動きは密接らしいが、そんなミツバチを通して宇宙まで想いをはせて
世界がどんどん広がっていったら面白いね。

自然が失われることを嘆き、変わり行く私達の環境や生活を否定してしまうのは
簡単だけど、その変化の中での調和とは何なのかを常に想い 
そこに向けて変化していくことって大切なんだと思う。
それは自然との共生共存だけではなく あらゆるシステムの中で
調和をはかるということが大切なのだろうな。(会社組織も政治も経済も含め)

自分が嬉しく それがみんなの嬉しさに繋がり みんなのためになる。
そんな調和が。
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by chandra-k | 2007-07-28 19:31 | Comments(4)

たられば

よく野球で「たられば」は禁句といわれる。
「もし~だったら」「もし~してれば」

後悔の「たられば」はやっても何にもならないけど
条件を変えて検証する「たられば」を私はよくやっている。

「もし 私が男性で夫で、夫がその妻だったら・・・」
「もし 私が母で、夫がその子供だったら・・・」
「もし 私が夫の仕事をしていたら・・・」
「もし 私が母の立場だったら・・・」
「もし 私がまったく違ったキャスティング、環境で学んだら・・・」

その時私は何を感じ 何を選択していたか 状況はどうなっていたか
その設定ではなく 今の私の設定(条件)との違いによって何を学べたか

そこで明確になってくる私の学びのプログラムのための
キャスティング、環境、条件・・・
色々沢山見えてきた。
本当に沢山の常識の枠を最初から作って それを取り払う学び。
どんなことが起きても心を波立たなくする 不動心のための学び。
愛を素直に受け入れず 遠ざける学び。
存在そのものが愛であることを知るため 無条件で愛する学び。

自分にとってはスペシャルベストプログラム。

かなり納得した。

今までは協力者に外的刺激を与えてもらいながら、
かなり現象に振り回され もがきながら気づきに至る
というやり方で成長してきたけど
そろそろそのやり方はおしまい。
もう現象による学びの段階は終わりだって気がする。
(6次元以上は現象から学ぶ段階ではないのだと思う)
これからはもっとさらに内的な探求と刺激によって
変革していくのだということだけは漠然とわかる。
ただその具体的なやりかたが かなりぼんやり。

ただ揺らぐことのない強い確信からしか始まらないということはわかる。
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by chandra-k | 2007-07-20 23:20 | 私について | Comments(0)

オパール

私の誕生石はオパールなのでオパールの指輪を買おうかなって
思ったことが何度もあったけど 気に入った石との出会いがなかったので
買うこともなく そのうち自分が欲しかったこともすっかり忘れていた。

最近自分のエネルギーの色が変化してきた感覚があって
以前はオレンジ系ゴールドが強かったんだけど
(その前はシルバーとライトブルーっぽい感じの時や
ライトグリーンとイエローが混じった感じの時もあった。)
最近は自分の中にピンクが入ってきて パールホワイトに
ライトブルーと薄いピンク色が混じってる感じだなぁって自分で思ってた。
その話をみちよちゃんに伝えたら
「行って来たポルトガルの海辺が日没の前に丁度こんな色彩に染まるのよ。
オパールのような水蒸気がかった空間の中に、優しげな淡い水色とピンクが
海と空で層をなしているの。
そして小刻みにゆったりと押し寄せてくる波がきらめきながら白っぽく青みを帯びて
天使の羽の様に見える。」と返してくれた。

このメールをみたら突然オパールのことを思い出した。
そうだ私、オパールが欲しかったんだっけ。
近々オパールと出会いそうな気がするな。
そう思った。

今日は祖母の百ヶ日でお墓参りに行く。
その後実家で話していたら 突然母が
「これ、ばあちゃんが生きてるときに徳子にあげるって言ってた」と
祖母のオパールの指輪を出してきた。
祖母がしていた指輪だった。
そして「これもあげる」と母がくれたのはオパールのブローチで
これは母のものだった。
一度に二つのオパールが私のもとにやって来た。

乳白色でほとんど一色に見えたその指輪を私がつけたとたん
指輪の色が変わり始めた。
内側からライムグリーンの光が射しキラキラ輝き 
まわりが少しライトブルーを帯びる。

「オパールって体温で変化するんだねぇ」と、両親は変化に驚いて言ったけど
そうじゃない。
私がつけたから色が変化したんだ。

ブローチのオパールも同様に乳白色一色だったのに
こっちはライムグリーンとライトブルーにピンクやオレンジも混じってる。
私が持っているとどんどん変化する。
石が目覚めて来た。
やっとオパールを手にしていい時が来たのかもしれない。
二人の母からのオパール。
涙が溢れそうになった。
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by chandra-k | 2007-07-12 16:16 | 私について | Comments(8)

かたちを見る

エナジーワークではっきり感じた。
私はこれから「かたちを見る。もう見ることが出来る。」って。

ずっと以前 私はかたちや現象は作り出したものであり、幻想だと
かたちや現象を否定し 拒絶し、ないがしろにした。
その後学びが進んで かたちや現象は愛が周波数を落としたものであり
愛の表れだとわかった。(正確には頭で理解した。)
そしてあらゆるものを見るとき 「これは愛だ。愛の表現の、ある側面だ。」と
思ってきた。
でもそれをよくよく突き詰めると 愛の現れであるかたち・現象と
エネルギーとしての愛をどこかで分離させ 距離をつくり
かたちの中に必死で愛の姿を見ようとしていた。
「私は愛の表現体」と言いつつ 表わす愛と、愛を表わされるかたちと
どこかで分けて感じて来たようだと気付いた。
「これは愛の表現だ」といいながら かたちの奥にあるものだけを見ようと
して来たともいえる。

わかったつもりで本当にわかってなかったとはこういうことだ。
実際にかたちや現象に振り回される自分がいたから 必死でそれを避けようという
自分なりの無意識の納得方法だったのかもしれない。

それが今日はっきりと「かたちを見る。見ていいんだ。」と思えた。

大津さんは言っていた。
意識が高くなるって何も感じなくなって無感覚になることじゃないよ。
ちゃんと感じるけど その感覚に影響されない、感覚を超えることだよって。

かたち・現象をしっかり見ても それを超えること。
かたち・現象に囚われないこと。
やっとそれが出来るって初めて思えた。

かつては自分で目を閉じようとした。
その後目を開けながら映るものを幻と思い込もうとした。
そして映ったものが見えているのに認識するのを必死でやめようとしていた。
でもこれからは違う。
しっかり目を見開いて愛を見てゆく。

いつだって自分の肉体の輪郭をあいまいにして意識を無限大に広げることも出来る。
それと同時に自分が選んで肉体を持った三次元のかたちをしっかり体験し
かたちである愛を存分に味わうことも出来る。

なんだか目がぱっちり開いた。目覚めた気分。
世界がくっきりした。
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by chandra-k | 2007-07-10 00:45 | 音楽 | Comments(2)

完全降伏

今年はじめの自分の日記を見ていて いつものことながら
今の自分とは別人だなぁと思う。
日々変化・変容しているので半年も経つとかなり違った私になっている。
私の日記を読んで「私にもこんなことが起きるの?」と怖くなってる人がいると
たまに聞くけど 私の学びと皆の学びは同じじゃないからそんなことはない。
違わなきゃわざわざ別の肉体を持って分かれて学んでる意味がない。
私は過ぎたことは次々忘れるので記録の意味も込めてこうして日記を書いている。

さて、ここ3日程私の中で「完全にお手上げだ」「もう完全降伏、降参だ」
というフレーズが繰り返えされている。

この1ヶ月 夫は毎週ブチキレていた。
前の怒りがやっとおさまりそうになる頃 決って私はどんどん畳みかけるように
新たな怒りの種を提供し続けた。
しかも私自身はどれも夫のためにやったつもりが見事に全て裏目に出る。
夫の怒りも行動も加速する。

それを通して私は沢山の、自分が作ってきた枠・判断の基準に気付く。
おそらく幸せ一杯喜び一杯では気付かなかったであろう枠。
それは一見「相手のための想い」という優しさを纏っていて
かなり巧妙に自分の中で隠れていたもの。

ちょっと前の日記にも書いたが 私は
「自分の才能を生かさないのは納得出来ない」という想いを心の底で持っていた
ことに気付いたし、
又「働かざるもの食うべからず」みたいな想いを持っていたことにも気付いた。
一個のガムを売って数円の利益を得る・・・みたいな小売店を営み
日々働き詰めの両親に育てられた私は 結婚して自分自身もひたすら働いて
家庭も会社も成り立たせるために走り続け、家事もしながら
何もかも自分でやらなくてはいけないという生活を続けてきた。
だから働かずに暮していられる人を見ると納得がいかない想いを持っていた。
そんな想いを持っていたことに気付いた。
かつて私が一番尖って攻撃的だった20代の頃は お金に物をいわせてスポンサーになり
自分が番組にまで出演して大きい顔をしている人にものすごくムカついていたのだけど
その頃からくすぶってた想いがまだどこかに残ってたんだなぁ。
すべてが学びで「今回の人生ではこんな学び」と設定してきただけで
私とは違うわたしの側面が違う学びをしているだけだとわかってたはずなのに。
(わかってたつもりだっただけなんだな)
存在そのものが愛と言いながらも その分かり方がまだまだ浅かった。
まだまだ沢山の善悪(好き嫌いの判断の基準)や枠、エゴを持っていた。

三次元的な物質に対する執着は大分なくなったけれど
実際物質として存在しているものに対し否定したりないがしろにする気持ちもあった。
物質に対してもその存在を最大限尊重し 
慈しんで享受するという想いが欠けていたことにも気付いた。
執着と、認めて受け入れることは全然違うのに。。。。
全てのものの存在に、囚われたり影響を受けたり、振り回されることなく
一方で拒絶することも否定することもなく あらゆる感覚を超えて 
その存在そのものをあるがまま認め 受け入れ 慈しみ 融合することが
大切だったのだ。

私はかなり肉体的にも精神的にも経済的にもタフだったので
今まではあらゆることを自分の力でどうにか切り抜けてこれた。
実際相当しんどかったけど それでもどうにかなってきた。
でもここに来て ついにもうこれ以上自分の個人の力ではどうしようもないと観念した。
(勿論今まで自覚してやってたわけではないけど)
私がどんなに頑張ってももうこれ以上は無理なんだとやっと降参出来た。
最後まで抵抗していたのは隠れていた私のエゴ。
そして降参するまで、高次元は、私への働きかけの手をゆるめなかった。

他の誰かであれ、自分であれ、物であれ、それがどんな状態であろうとも 
完全に信じきるしかない。まるごとそのまま。
委ねきるしかない。
そこに自分の枠やエゴを差し挟む余地はもうすでにないのだとわかった。

完全に降伏だ。
完全に信じきって愛のエネルギーそのもので満たし
ただひたすら在るだけで十分なのだ。
それだけで全てに愛されている。

珠ちゃんがWAR IS OVERと言ってたが 私もBE OVER
完全降伏。
カルマの学びも 落ちる学びも おしまい。

今回の学びで自分の周波数の変化がよくわかるようになった。
夫の表面意識に共鳴すると自分の振動が粗くなり
夫の魂に共鳴すると感謝の思いで振動数が高くなる。
苦しさに共鳴した状態で「治したい」という想いでヒーリングすると 
夫の表面意識と同じ粗いエネルギーをそのまま返してしまうので
眠っていた夫が「いてっ!」とかなり痛がった。
反対に感謝の思いで夫の高次元に繋がりながらヒーリングすると
私が穏やかで精妙な至福のエネルギーに満たされる。
ヒーリングは治療のためというより お互いのエネルギーを融合し
愛を感じるためにあるのだとつくづくわかった。

完全降伏はすがすがしい。
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by chandra-k | 2007-07-07 21:56 | 私について | Comments(12)

脈動する月

昨日午前2:00 月を見ていて驚いた。
いつもと全然違う。
クラウンチャクラの1000枚の蓮の花びらみたいに
ものすごく沢山の花びらが見えた。
蓮のようでもあり 薔薇のようでもあり 牡丹のようでもある。
しかもその花のような月が脈動していて
どっくんどっくんと大きくなったり小さくなったりしていた。
私か? とも思ったけど 違う。
いつも見る月と完全に違う姿をしていた。

変化の時の予感。
また何かが変わり 何かが始まる。


日常の中でとっても小さな枠に気づく。
それは本当に細かく沢山ある。
気づかずに判断してたり 好き嫌いを作っていたもの。
そしてよかれと思いながら それが実は押し付けだったり
エゴだったり 自分の枠だったりするもの。

私は「完全に信じきる。委ねきる。」ということが出来ていなかったんだなぁ。
信じきっていれば 心配のエネルギーは送らないし
気をもむことも もっとこうすればいいのにと思うこともない。
ついサポートしたくなることをやめて 一切手を出さず
ひたすら信じきって見守りながら愛を送り続けることが出来るのに。
(感謝のエネルギーは送ってたけどね。)

すべては完璧で全知全能なのだから。

そして私は 自分の抜けているところを改め、行動し
自らが成長することで さらなるエネルギーを送ればいいんだ。
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by chandra-k | 2007-07-03 01:03 | 私について | Comments(6)