「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:病床波動日記( 14 )

想いを伝えるということ④

4月に仙台で行われた大宮エリーさんの
「思いを伝えるということ展」を思い出していた。

特に、「心の箱」のインスタレーションについて。

白い箱それぞれに「切なさ」「喜び」「寂しさ」「憂鬱」
「嫉妬」「愛しさ」「哀しみ」「虚しさ」と書いてある。

心に触れることができます
手を入れて
その感触だけで 
こころの状態を
感じ取ってください

と、あった。

誰もがおそるおそる手を入れる。

そして・・・触れた感触・・・。

ピンとはりつめていたり、
ふわふわ、ぷにゅぷにゅしていたり、
ごつごつしていたり・・・・。

「哀しみ」は、手で触れると小さく震えて
愛おしくて、抱きしめてあげたくなった。


触れることで、触れた方も、触れられた方も何かが変化する。
愛しくて、抱きしめたい想いは、何かを溶かしてゆく。


そのインスタレーションは、裏にまわると、
箱の中に何があるのか目にすることが出来る。

そしてまた、誰かがおそるおそる箱の中に手を入れる瞬間を見ることも出来た。

誰でも誰かの心の中に思いに触れようとする時
そんな風に、ちょっととまどいながら、
でも心を震わせながら、そっと手をさし出すのだろう。



いくらエネルギーで伝わっても、(エネルギーもものすごく大切だけど)
実際に触れたり、味わったりすることで大きく何かが動く。

そして、もしかすると、
「裏が見えると、種明かしで、なーんだ」って思うように、
シェアしてみると、問題が問題ではなく、
シンプルでわかりやすくて、たいしたことなかったりもする。



もしかしたら、伝わらなかったり、
意に反したことになってしまうかもしれないけど、
それでも、言葉で伝えたり、行動することで初めて
ダイナミックなエネルギーの交流が起きるのだ。


何かの扉がダイレクトに開く。


あのインスタレーションで感じたことを、
自分が言葉で伝えたことで、実感した。
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by chandra-k | 2013-08-11 20:18 | 病床波動日記 | Comments(0)

想いを伝えるということ③両親へ

近い関係であればあるほど、真正面から感謝の言葉を伝えることに照れてしまう。
感謝の気持ちは持っていても、言わなくてもわかるはずと思っしまったり、
どんなタイミングで言っていいのか、受け取っていいのかわからなかったりする。

昔から普通にそれを言い合えてる関係だったら、そんなことはなんてことないのだろうけどね。


どう切り出していいのかわからない。でも伝えないと。
私にとっては決断が必要だった。


生まれて初めて、真正面から、真面目に、両親に
「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」と伝えた。

病床でそんなことを言われたら、両親も戸惑ったかもしれない。
「今更そんな~。親として当然だから~。」と
さらっと受け答えをして話をそらそうとする。
深刻な感じがして、話したくないのかもしれなかった。

でも私はこれから生きるために、話を続けた。


以前ブログに書いたけれど、私には母の他に母の存在に近い祖母がいた。
事情が複雑で、血筋でいう伯母と母が養子縁組をして戸籍上は親子になっていた。
(年齢は10歳ちょっとしか違わない)
子供が出来ない体になってしまった祖母と、21歳で初めて子供(私)を産んだ母が
一緒に暮らし、二人の母がいるような状態だった。
どちらかに甘えてしまうと、どちらかに淋しい想いをさせてしまうから
私は甘えることが出来ず、感情をあらわさない子供になった。

子供の頃本当は淋しくて、一人で泣いていたと伝えた。

その他、子供の頃から思っていたことを伝えた。

平凡な生活は嫌だとずっと思っていたけれど、
本当はあたりまえに毎日繰り返される日常がどれほど豊かであったか。

才能がある人は認められるべきと思っていたけど、
日々の生活を豊かな気持ちで暮らしていくことの大切さ。

毎日朝から晩まで働きずめの中、栄養があるご飯をつくり続けてくれたこと・・・。


昔、勝手に私が思っていて否定していたことを謝り、
あらためて、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと
今までの感謝の気持ちを伝えた。

どこまで伝わったかはわからない。
ごまかしながらも、両親は少し涙ぐんでいるように見えた。


何がどう変わったかはわからない。
でも伝えたことで、両親とのエネルギーの繋がりの密度は確かに変化した。
伝えて本当によかった。


両親が祈祷に行ってもらってきてくれた平癒のお守りを見ると、
両親の気持ちが伝わってきて涙が溢れた。
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by chandra-k | 2013-08-09 18:56 | 病床波動日記 | Comments(0)

想いを伝えるということ②

作られた感情は、味わわれ、放出(共有)されることを望んでいるし、
想いは伝えるというかたちをとって、エネルギーは変化する。

人生において無駄なことはひとつもなく、
あらゆることが成長のための糧となり、
すべての出来事が学びの協力者であると知ってからは
多くのことに感謝して、過去の経験がみんな光に変わってきた。
そして私は癒され、どれだけ生きるのが楽になったことか・・・。

でも、その私の中にあるさまざまな想いはエネルギーとして私から出ていたとしても、
それは多次元レベルにおける見えない世界のことであり、
この三次元においては、かたちをとることが必要だったということに気づく。

肉体を持ってここにいる以上、
本来はひとつでしかないけれど、
それぞれの学びを尊重してかたちを持って分かれて存在している以上、
一度それを「伝える」というカタチをとることで、
その想いのエネルギーはダイナミックな変化を起こす。



かくして、夫に想いを伝えようと決断した翌日はPET(画像健診)だった。
PET装置は病院にはなく、専門のクリニックで受診が必要だったため、
外出許可をもらって夫の車でクリニックに行った。
そして検査後一旦自宅に戻って、二人だけになった時に想いを伝えた。


私がどれだけ今まで一人で頑張ってきたか。

そこには夫を責める気持ちは少しもなかった。
「責めたくて言ってるんじゃないの。それだけはわかって。
今これを言わないと、ずっと自分の中に溜め込んだままで、もっと大変な状況になると思う。
だから今までどんな風に想ってきたかを聞いて。」

一人で頑張らなくてもよかったのに、
一人で頑張らなくてはいけないと勝手に思って、そうしてしまっていたこと。
そして心の底では、「私ばっかり」って思って責めてしまっていたこと。

本当は子供も欲しかったし、女性性も味わいたいと思っていたのに
それが叶わない状況で、辛くて悲しかったはずなのに、それを認めず
ずっと「私は大丈夫!」って頑張ってきたこと。

どれだけ大好きだったか。
そしてこれからは信頼して頼りにして一緒に生きていきたいこと。


何をどう話したかよく覚えていないけど、
とにかく泣きながら話し、そして、二人で泣いた。

私は思いっきり泣いて、その後シャワーを浴びた。
シャワーから戻ると夫が泣いていた。



これから二人で生きていくために必要なこと、だった。

想いには方向があって、相手がある以上、それをかたちにして伝えることで、
相手に届いたことで、そのエネルギーは変化する。
それがどんなかたちであれ、相手が思ったとおり受け取ってくれなかったとしても、
伝えるという行為がいかに重要であるか。


夫は「一緒に頑張っていこう」と言ってくれた。
これからは私一人で勝手に頑張るんじゃなく、
私が一人で勝手に感謝して、満足しているんじゃなく、
二人で共に分かち合っていく。

信頼して、頼りにして、分かち合って、手を携えて生きていくこと。


伝えたということで、私の中で、そして私達の間で
何かがとても大きく変化した。

魂レベルの深い繋がりはもともと感じてはいたけれど、
密度が濃くなったというか。

今までの感謝の想いは、表面的なところと、魂レベルと二極化していた感じだったのが、
中身が埋まったというか、実のある感謝というか・・・。
(うまく言語化出来ないから伝えにくいけど)
感情がともなった深い繋がりと言ったらいいのか。

私の中で、表面化していなかった熱いものが立ち上がってきたのを感じた。
それはいのちの実感みたいなものかもしれない。リアルな。

これを知るために、私はこんな学びを選んだのか。


そして、伝える想いはもうひとつの方向があった。
それは両親に対して。
それも伝えることを決めた。
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by chandra-k | 2013-08-08 19:28 | 病床波動日記 | Comments(0)

想いを伝えるということ①

私が蓋をして、気づかぬふりをしてきた感情について色々考えていて思ったのは、
全く気づいていなかったのではなく、わかっていながらちゃんと味わってこなかった感情であったということだった。

それは実はかつて知っていたけれど、別の解釈や意味づけをして、
その学びに感謝して、自分では終わったと思っていたことだった。

でも、頭でそれをわかっていても、放出されていない感情が
行く先もなく、見えないところに燻り続け、結局はこうなってしまったともいえる。

それがわかった以上、自分だけで「終わらせた気」になっていても
決してそれは終わらない。


例えば、女性性に関して。

子供の頃私は女性性を拒絶していて、
「女である前に人間でありたい」と言っていた。
やがて成長と学びによってそれが自己否定であったと気づいた時に、
自分と女性性を受け入れることが出来るようになった。

やっと女性性を受け入れられるようになったにも関わらず、
今度はそれを味うことが許されないような事態が次々起きて、
やがて私は、魂の成長においてはエネルギーさえ交流すればいいじゃないか的な解釈で
(性別を越えた魂レベルでの交流こそが素晴らしいなどど)自分を無理矢理納得させてしまっていた。

つまり本当は味わいたかったのに、それが出来ないから
その執着はなかったことにして、生理も女性性も面倒だと済ませていた。

本当は淋しくて、悲しかったはずなのに。



20代30代の頃、会社をいくつも作ったり、あまりに色々なことをして
言い始めたたきりがないほど、様々なトラブルや大変なことが山ほどあり、
相当精神的に辛かったにも関わらず、それを友人にも、家族にも誰にも言えず、
とにかくひたすら一人で頑張るしかないと乗り越えてきた。

夫もトラブルの渦中で本当に大変だったし、
私が自分の感情だけをぶつけてしまったら、もっと大変なことになるからと
自分の感情を抑えることを正当化し、無いことにした。
夫に笑顔でいて欲しいから、「私は大丈夫!」と自分に言い聞かせて頑張ってきた。
誰にも辛い顔を見せず、笑顔で仕事をし続けた。
私個人の仕事が順調なのが私の救いであり、私の精神を支えていた。


今は真理を学んで成長したので、何でも言える友人、仲間が沢山いるし、
自分のことを言うのも平気だし、
こう思われたら嫌だとか、恥ずかしいとは全く思わないし
それらすべてを感謝の光に変えることが出来るようになったけど、
当時は本当に誰にも何一つ言えなかった。



すべてが私の成長のための協力者であり、どれもがかけがえのない経験であり、
だからこそ今の私があると心から思っている。
真理を学んで本当によかった!心の状態が全く違うもの。


けれど、当時の苦しさや淋しさや、悲しさの感情が行き場を失ったまま
私の中に残っていたということだ。
長い間澱のように重なって、今、それをどうにかしてほしいと私の体が訴えている。


それがわかった以上、それをそのままにしておくことは出来ない。


私が自分の講座で伝えているように、実践するしかない。
それは、どう自分が生きるかということなのだから。


私はかつての自分の想いを夫に伝えようと決断した。
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by chandra-k | 2013-08-07 18:53 | 病床波動日記 | Comments(0)

押し込めて、気づかぬふりをしてきた感情

入院して、執着を手放す、降伏するということで学びが終わるのかと思ったらとんでもない。
それは始まりでしかなかった。

まずは当事者として病気を真剣に受け入れること。

「ほとんど悪性」と主治医から言われたことに本当に驚いた。
それは私ばかりでなく、まわりの仲間達もそうだと思う。
だって真理を学んだら癌になんてなるわけがないと思って来たから。

でも現に腫瘍がある以上、自分が作り出した事実を受け入れるしかない。
だって原因と結果の法則は完全なる宇宙の法則であり、必ず原因があるわけだから。

言い訳をせず、別のものにすりかえることなく、
素直に謙虚に受け入れること。

真理を学んで来た私が、このような状態になって恥ずかしいとか、
どう思われるかなんていうことを考えている場合ではない。
だって起きているんだから、言い訳はきかないのだ。
こう見られたいという想いも手放す。


癌は破壊のエネルギーであり、自分の細胞のDNAがエラーを起こしただけでなく、
それが塊となってしまうわけで、それには、怒りとか、恐怖とかが要因だったり、
頑固だったり、頑張り過ぎたり、要するに想いがぎゅっと固まってしまうこと。
(だから、ガンって言うんだろうね。字もそのままだし。)
力が入り過ぎてしまっていること。

自分のことって本当によくわからないもので、
自分ではさほど思っていなかったけど、私は相当頑固であったらしい。


真理を学んで、沢山の気づきが起き、今まで色んなことを手放したり、許したり、
意味づけを変えたりして、感謝の光に変えてきたけれど
まだ見ていなかったこと、気づかないふりをして蓋してきたこと、
避けてきたことがあったということ。

自分の中にあった怒りや恐怖や悲しさの感情をどこに押し殺してきたのか・・・。
そしてそれがあったにもかかわらず、認めていなかったこと。
別のことにすりかえて解決したつもりでいたこと。


卵巣に腫瘍が出来たということは当然女性性とも関係があるし、
いくら最近急激に表面化して巨大化したとはいえ、腫瘍が育つためには年月が必要であり、
過去に作り出したものを、解決せずに持ち越してきたということでもある。


2013年を迎えて、もはや嘘をつけない時代になってしまった。
全てが白日の下にさらされる。
今までずっと自己探求し続けてきて、自分が作り出した物を無いことにして
進むことは出来ないし、何かを大きく変えるしかない。

心が本当に求めていたものは何だったのかをちゃんと見なくてはいけない。
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by chandra-k | 2013-08-06 19:24 | 病床波動日記 | Comments(0)

自分と向き合う

緊急入院と仕事のキャンセルの連絡、たて続けの検査、胸水を抜く処置と
あわただしく時間が過ぎる中、実は、私は当事者であるにも関わらず入院当初リアリティがなかった。

確かに自分は入院していて、とんでもない状況に置かれているにもかかわらず、その実感がない。
あれよあれよと体は移動させられ、いろんなことをされているのに、起きてることが自分のことではないような、すごく変な感じだった。

今まで病気らしい病気もしたことがなかったので、病院で受けるフルコースの検査も、最初はもの珍しさでキョロキョロしていて、新しい体験を楽しんでるみたいな変な感覚。
苦しくて車椅子に乗った時まで、「わ!車椅子初体験!へーこんな感じか。」なんて思っていた。


でも、それは今考えてみると、自分が状況を受け入れていなかったんだと思う。


だいたいにして、ずっと真理を学んで来た自分が病気になること自体ありえないと思っていたので、
検査しているうちに、突然腫瘍が消えてしまうんじゃなかいかとか、
何かものすごい奇跡の体験をするために自分はここにいるんじゃないかとか、
自分の状況をまるで何かの物語を遠くから見物しているような気分だった。

まして、主治医の先生から胸水の組織を検査してみないとはっきりは言えないけれど、
今の状況からして、この腫瘍は悪性である可能性が高いと言われても、
それはきっとなにかの間違いで、真理を学んで来た自分は癌になるような心の使い方をしてきた覚えはないと、
どうしてもそれを受け入れられなかったのだと思う。

当事者感覚の欠落・・・。



そして・・・入院して5日。
自分はなぜここにいるのか。
何を学ぼうとしているのか。
実感がなくても、こうして腫瘍があってここにいることを考えていた。



そんな時珠ちゃんから
「大津先生がDNA書き換えのエネルギーを送ったけど入らない」と言ってたよと聞く。

つまり、私の魂がそれをブロックをしているということ。
魂はそれを今は受け入れることが出来ないということ。
何か大きなことを私が気づいていないということ。
自分の力でやるべき学びがあり、それは自分にしか出来ない大きな学びであるということ。

逆に言えば、それをやるためにここにいるのであり、
それを体験するためにここにやってきたとも言える。


しかも生半可ではだめ。
命をかけて私はそれをしようとしているのだから。
ここで逃げてしまったり、ごまかしたりしたら、本当にとんでもないことになる。
当事者感覚がないなんて言って傍観者になっている場合ではない。

真剣に自分と、そして病気を作り出したことに関して向き合わないといけない。
事態は刻々と進んでいて、猶予はない。
先送りしていたら手遅れになる。
それだけ差し迫っていた。

初めてそれをリアルに感じた。

病気を作り出したのは自分であり、そこには必ず理由がある。
その病気は必ずメッセージを持っていて、それに気づく必要がある。


私は自分の状況と真剣に向き合い
病気を正面から受け入れ、検証を始めた。
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by chandra-k | 2013-08-05 21:59 | 病床波動日記 | Comments(0)

胸水って!

今回の入院で巨大腫瘍でお腹が圧迫されて大変だったのは勿論だけど、
実はそれ以上に苦痛だったのが胸水だった。

肺全体を胸膜という薄い膜が覆っていて、
さらにこの膜はひとつづきになって胸壁(肋骨)の内側まで覆っている。
この2枚の胸膜の隙間に水が溜まるというもの。

入院のきっかけになった胸の痛さと苦しさがこの胸水による圧迫だった。

胸水は栄養が一杯溜まっているし、胸膜に穴をあけること自体望ましくないもので
本来は水を抜きたくはないけれど、胸水の中の組織を検査する意味もあるということで
入院してすぐに水を抜くことになった。

処置室に行くと、先生や看護師さんが大勢いてものものしい。
けっこう大変なことなのか、婦人科と内科両方に関わるからか、
沢山の人にぐるりと囲まれた。

間違った場所に針を刺すと困るのでエコーでチェックしながら、
背中に局部麻酔をして、肋骨の間に針を刺す。
そしてそこから管を通して、胸水がどんどん抜かれていく。

入院中結局4回抜いたのだけど、一回目はかなりのスピード。
黄色い透明な液体だった。
この中には大切な栄養が一杯入っていて、本来はリンパや血液に戻るものらしい。

水を抜くと肺の容積が増えて呼吸が楽になると思いきや、
急激に肺の中の圧力が変わるために、逆に呼吸困難になってしまい、
水を抜く速度を落としてもらう。
人間の呼吸ってこんなにあっという間に変わるのだと驚く。

慎重にやらないと気胸といって肺に穴が空いたりするらしい。

この処置は驚く程体力を消耗した。
さらに栄養をたっぷり抜いたのでげっそり。
結局右の肺側から1リットルの水を抜いた。

その日の夕方は、肺が拡がって呼吸が楽になったと喜んだものの、
二日後にはまた同量の水が溜まってしまった!がっくり。
ちょっとかがんだだけで喉が圧迫されて苦しい。

そして、さらに入院中胸水はどんどん溜まって呼吸が苦しく、
肺の上の方三分の一位で呼吸している感じ。
最大で3リットル位水が溜まってたのかな。
常に息が苦しく、息切れするし、ちょっと笑っても咳が出る。
体勢をちょっと変えると水が動くので、その度に苦しくなる。
勿論横になって寝ると苦しいし、寝返りも打てないので
ベッドはずっと斜めに起こしたまんま眠るしかない。
遠くまで歩くもの辛くて、検査の時は車椅子で移動していた。
(初車椅子だったので、ちょっと新鮮だったけど)


お腹は腫瘍と腹水でパンパンで腹式呼吸はほとんど出来ず、
胸式呼吸をするしかないのだけど、それも肺の上の方だけでは相当苦しい。
今年になってから胸式呼吸をトレーニングして、肋間筋を鍛えて
肋骨が拡がるようになっていて本当によかった。
それが出来なかったらもっと苦しかったに違いない。
まるでこうなることがわかってたかのように訓練してたみたいだ。


さて、手術の時は気道を確保するため喉に管を入れるけど、
肺に空気が入らないと生命の危険があるということで、
手術の前日にまた胸水を抜いた。
手術の前に抜いた胸水は、透明な黄色から赤褐色に変化していた。

そして、手術中に必要があればまた抜く可能性があるということで
仰向けに寝てもいいように、今回は肋骨の脇に針を刺し、その管を付けたままにしておく。


結果的に手術中は水を抜かずに済んだけど、
せっかく(?)管がついているから、呼吸を楽にしましょう言われ
手術の翌日もまた胸水を抜く。
手術が終わったばかりだっていうのに、またかとげっそり。
でも、水を抜かないと呼吸が苦しいからなんとも複雑。

その刺した針が呼吸をする度に動いてどこかを刺激するらしくとっても痛い。
痙攣するみたいな痛みがやってくる。
手術後のお腹の痛みより胸水の針の方がずっと痛くて、消耗した。


そして、胸水がまた溜まったら抜けるようにと、
針を刺しっぱなしで何日も過ごしていて、時々うずくように痛むので
痛み止めを飲んで過ごし、針を抜く前にもう一度胸水を抜いた。


それから何度かレントゲンを撮ったけれど、
腫瘍を取ったおかげで右の胸には水は溜まっていないようでほっとしている。
左の胸からは水を抜いていないのでまだ残っているから
今も息が切れたり、本来の呼吸は出来ないけれど、
今後胸水が増えることなく、この水が自然に体に吸収されることを望んでいる。

西洋医学では胸水に効く薬は特にないけど、漢方には利水のための処方があるので
現在それを運龍堂の佐藤さんに相談して漢方を飲んでいるところ。
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by chandra-k | 2013-08-04 21:48 | 病床波動日記 | Comments(0)

番組の休止。そしていよいよ復帰します。

ブログのアクセス解析を見たら、私の緊急入院により番組が突然休止になったためか、
ここ最近だけでも「及川徳子」とか「及川とくこ ロックンロール黄金時代」で
何百件の検索があった。
Datefmにも問い合わせがかなり入っていたと伺った。

6月や7月のあたまのアクセス解析はどうだったのか見ていないからわからないけど。
珠ちゃんのブログにも私の名前の検索ワードによるアクセスが多かったそう。

私の知らないところで、私のことを検索したり、気にしてくれた人が多いことに驚き、
本当にありがたいと思った。


6/16(日)の夜中に緊急入院したため、翌日Datefmさんにお詫びとご相談の電話を入れた。
そして、私の番組は他の人がやったら全く違うものになってしまって成立しないので、
番組を休止して特番でつないでくださることになった。

その番組というのがJFN特別企画の「roots」で、毎回音楽を深く掘り下げる特番だった。


私は病室で聞いていた。
消灯は21:00で一旦眠っても、見事に5分前に目が覚める。
24:00の時報と共に
「及川徳子の体調不良によりロックンロール黄金時代はお休みし、
特別番組rootsをお届けします。」とアナウンスが入り、番組がスタートした。


その一回目は「ローリングストーンズ!」
メンバー本人のインタビューと共に、私も知らなかったようなエピソードも披露され、
深くバンドを掘り下げてゆく。

私の番組の代わりにストーンズなんて光栄過ぎて泣けた!

だって、かつてストーンズが来日することはないだろうと思って、
私はストーンズ見たさにNYまで行ってライブを見たのだから!
(そのすぐ後ストーンズの来日が決ったけど)

Datefmさんは「徳子さんが元気になるように一回目はストーンズにしました!」と
言って下さった。
本当にありがたくて、嬉しくて、ベッドで放送を聴きながら泣いていた。



次の週も見事に番組の5分前に目覚めた。
2週目は「NYロック列伝~伝説のロックジャーナリストが語る知られざるストーリー」
純粋にロックが好きで、よい音楽を紹介したいというPUREな気持ちだけで活動し、
ライターから、プロモーターになり、さらにはレーベルオーナーになった
スティーヴ・ワイツマンの物語。
ただ素晴らしいものを沢山の人に紹介したいという彼の想いに本当に共鳴する。
私も想いも一緒だった。



そしてその次は術後4日目。「カーペンターズとアメリカ」
リチャードはラジオが大好きだったという。
私はその番組を聞きながらの自分の原点を思い出していた。
中学1年の時、初めて深夜放送を聴き、パーソナリティの言葉が
とてもパーソナルに直接ハートに届くことに感激し、
私はこの仕事をするんだと心に決めた時のことがよみがえる。



私には大切に作ってきた番組があり、その代わりにこんなに素晴らしい番組で
つないでいただいている。
私はこのかけがえのないものを持っていることにあらためて気づき
その豊かさにずっと泣いていた。


そうやって一ヶ月半番組をつないでいただき、7/20退院。
体力はまだ戻っていないけれど、番組制作は出来るので
8/4から番組に復帰させていただくことになった。
番組は生放送ではないので、先日ゆっくり収録した。


入院前の放送はベテランの新作集vol.1で、その続きをやるつもりだったのに
入院で休止したので、今回はその続きにした。




リスナーのみなさま、長い間お休みして本当にごめんなさい。
大変お待たせしました。
一ヶ月半ぶりの続編で申し訳ありませんが、
8/4(日)24:00~ Datefm「 ロックンロール黄金時代」復活します。
(ベテランの新作集vol.2)

こうして戻って来る事が出来て本当に嬉しいです。

そして、関係者の皆様、ご迷惑をおかけし本当にすみませんでした。
そして心から感謝しております。
ありがとうございます。




ついでに、もうひとつ。
突然東京のNHKから連絡があって、20年以上前に私が一部朗読したテレビ番組が
再放送されます。
原爆関連の番組のアンコール放送。
「原爆とは知らず 女優・園井恵子の戦争」(91年放送したもの)
8月3日(土)24:25~のEテレ 2本連続放送のうちの一本
20年以上前の朗読なんで、どんなに下手くそなのか予想もつかないけど。
読んでるのはほんのちょっとだけのはずです。

興味あるかたはこちらもご覧下さいね。
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by chandra-k | 2013-08-02 21:42 | 病床波動日記 | Comments(0)

巨大卵巣腫瘍と大腸さん

これから色んなことを少しずつ隠さず書いていこうと思うので、
人によっては目を背けたくなることもあるかもしれない。
でも、きっと誰かのお役にたてることがあると信じて詳しく書いていこう。
(なるべくひとつの記事が私の癖で長文にならないよう気をつけつつ)

まず入院当時私の体がどうなっていたかというと、
本来親指の爪くらいの大きさの卵巣がでっかく腫れあがっていた。
カルテを見ると「巨大卵巣腫瘍」と書いてある。
きょ、巨大なんだ・・・・。

普通子宮の両脇にあるはずの卵巣が巨大化して子宮の前に完全に覆いかぶさっていた。
そしてMRIでは、右の卵巣なのか左の卵巣なのか見分けがつかず、
「右?」とマークがついていた。
結局は左だったんだけど、右側も覆いつくしていた。

なんでこんなになるまで気がつかなかったかと言われそうだけど、
排卵の度に数ヶ月で本当に急激に巨大化してしまったの。

まるで妊娠でもしたかのように突然お腹が張ってパンパンになり、
卵巣の後ろに子宮、そして大腸はほとんど押しつぶされた状態。

私は昔から快便で、毎日見事な便がするりと出て
その立派さに人に見せたい位(以前夫に見せようとしたら拒否された。笑)だったけど、
5月位から急に便秘ぎみになっていた。
こんなに大腸が押しつぶされていたら出るわけがない。

あ~、私の大腸さんごめんなさいっ。そりゃ苦しかったでしょ。


でも入院して、毎日三食規則正しく食べていたら
ちゃんと毎日お通じがあるようになった。
食事ってすごい。
あんなに押しつぶされてても出るんだ!


みんなから病院の食事って美味しくなくてつまんないでしょ?
と訊かれたけど、とんでもない。
私にはとっても美味しかった。
栄養士さんは、入院患者が飽きないように味付けとかアレンジとか
色々努力してくださっているのがすごく伝わってきて、
とっても美味しくいただき、もりもり食べていた。
(お昼はたまにカレーとか、冷やし中華とか、ビビンバ丼の時もあった)

食欲がなくなっちゃうと点滴になるので、
ちゃんと毎回ご飯が食べられる(しかも自分が料理しないで♪)幸せに感謝しながら
ありがたーくニコニコで食べ続けた。
退院の日まで基本的に完食!

食事って本当に大切だと心から思った。
(ああ、今までどれだけめちゃくちゃな食生活してきたことか)
体さん今までごめんなさいっ。
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by chandra-k | 2013-08-01 18:56 | 病床波動日記 | Comments(0)

選択とベストタイミング

人生は一瞬一瞬の選択で出来ている。
それは全部自分で決めている。
その大事な瞬間は自分で決めるしかない。

今回の入院で何度も決断を迫られることがあった。


もし、急患センターに行かず、二日間様子をみていたら・・・。
急患センターに行ったとしても、そのまま入院せずに
翌日レントゲンを持って外来に行くことにしていたら・・・・。

だとしたら今頃とんでもない状態になっていたかもしれない。

もっと我慢して、仕事を続けながら外来に通っていたら
仕事の最中に倒れて、もっともっと大変なご迷惑をかけていたかもしれなかった。

私の場合、卵巣腫瘍が見つかっただけでなく、胸水もあり、
さらに腫瘍マーカーの値がとんでもなかった。

婦人科系のCA125が1250(基準値上限35)
消化器系の19-9が19800(基準値上限37)
同じく消化器系のCEAが609(基準値5)

そのため、消化器系にも腫瘍があるかもしれないし、
心電図にも異常波形が見られたということで、
入院から2週間、毎日毎日ひたすら全身の検査が続いた。
まるで病院検査のフルコース!

そしてそれは入院していたからこそ、外来の患者さんの間をぬって毎日検査を受けることが出来たわけで、もし外来でそれを受けようとしていたら、検査に何ヶ月かかったかわからない。

そして入院当初は、検査と手術室の状況と執刀医のスケジュールを考えると
手術は7月末か8月頭になりそうと言われていた。

でも、ラッキーなことに検査は2週間毎日スムーズに進み、
検査が終わると同時に即手術が受けられることになり、最短コースとなった。

検査中の2週間の間にも胸水はたまり続け、どんどん呼吸するのが辛くなっていたので、
もし手術が何ヶ月も先だったら、今頃私はどんな状況になっていたかわからなかった。


今思うのは、あの時は本当に動揺したけど緊急入院してよかったし、
中途半端に仕事を続けようとせず、あきらめて全部キャンセルしてよかった。
そして、すべてがベストタイミングで進んだのだと思っている。



みんなから入院中は何もすることなくて暇でしょ?と聞かれたけど、
とんでもない。
入院当初は仕事のキャンセルの連絡と、検査の連続。
そして、手術。その後は回復に集中する毎日。
さらに嬉しいことに私のところには毎日沢山の人がお見舞いに来てくれていて、
一ヶ月以上入院していたのに、実はあっという間だった。

そして退院の時も大きな選択を迫られる。

それに関してはのちほど詳しく書いていこう。
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by chandra-k | 2013-07-31 20:12 | 病床波動日記 | Comments(0)